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野生のキツネに遭遇した朝に!

村内にお稲荷さんは存在しないが・・・。
当地に生まれ71歳になるが野生のキツネさんと初遭遇!

合間に30年ほど、故郷を離れたが、帰郷した。
生まれ育った1950年代から60年代は今とは総てが違う社会だった。
村に自動車が訪れるのは稀。当然、県道も舗装はされておらず、むろん、下水も無かった。いわゆる後進国だった。
子どもたちの日常は、塾なんぞむろん、無いゆえ、舞台は、誰かのお宅の庭先か近所を流れる中小河川と平地林。
むろん、スマホを含めた文明の利器は一切無い。TVも無い。
必然的に、昔から伝わる遊びに興じた。
主な舞台は里山。
先輩方がカスミ網やら、ボッチと呼ばれる野鳥の罠やらを設置するのに付いて回った。ルールもマナーも先輩方に教えられた。
田んぼでドジョウを穫れば、ドジョウ穴を埋め戻すこと!
田んぼの用水堀でカイダシと称して魚取りをすれば、復元しておくこと。
カイダシの戦利品は参加者全員で平等に分配すること。
そんなことを思い出しながら、キツネを観ていた。
その故郷で単独でキツネに遭遇したのは人生初!
日の出前の薄暮の田んぼで逢った。
久しぶりに日の出前の筑波山を撮りたかったので出向いたんだが・・・。
誰にもキツネが棲息しているとは聞いたことが無かった。
あるいは、農家さんは遭遇していたのかも知れないが。

夜明け前に、100mほどの距離での一枚。遭遇したのは10mほどだったが・・・。焦った^^;
日の出前の筑波山。右手の雲の下からおひさまが昇る。

沈黙の春が導いた?

しばらくぶりにレイチェル・カーソン女史の名著を読み返している。
読む度に思い出すことがある。
行間やら単語やらから思い出が蘇る。
長くなりそうだが、常に遺言のつもりでPCに向かっているので思うままに書いてみたい。
伯父は60歳で肝硬変?で冥土へ旅立った。
弟であった父親は89歳まで生きた。
伯父は梨農家。結構な面積の梨栽培を営んでいた。
出荷組合を10名ほどで結成し、尺祝いなるものをしていたのも覚えている。
当時は(たぶん)札の最大が100円札だったんだろうね?
売上総額を帯封100円札の束を重ねると一尺(30cm)の高さになることだったようだ。金額にすると幾らだったんだろうね?
帯封で1万円だから、1cm☓30束で30万円ほどだったろうか?

何故か?板垣退助だった100円札。

農薬と経済成長の恩恵

尺祝いが可能になった背景は大別二点あった。
その1,経済成長が始まっていた
その2,農薬の導入
前者は戦後から脱却し、朝鮮特需の恩恵もあり、復興の機運と波が田舎村にも訪れていた。
当時の集落内の戸数は150戸程度。
そのうち、農家は半数の80戸ほどだったろうか?
その半数が梨農家だった。(現在は4戸に減った)
当時、病害虫駆除で急速に導入されたのが、パラチオン、エンドリン、ホリドールなどの有機リン系特定毒物。
これを素手でかき回し、マスクもせずに動噴で散布した世代。
散布後には近所の酒屋さんで酒盛りしていた。
その伯父は、若くして、亡くなった。
当時の梨農家さんは総じて早逝されている。
我が家の父親は農薬散布の梨栽培に見切りをつけ、牛飼いに転じている。
その差が冥土への時間差だったと感じてならない。
薬害を被ったとして提訴した農家は皆無だが、海の向こうでは、モンサント社がバイエルン社に買収されたと一時期騒がれた。
蓋をあけてみれば、ハズレくじをバイエルン社が引かされただけのことだったのが後に判明した。
訴訟社会である米国では数百億円単位の賠償判決が相次いでいる。モンサント社の農薬ラウンドアップに含まれるグリホサートで癌になり死亡あるいは、発症したとの訴訟だったかと思う。
モンサント社の幹部と株主はそのことを知っていて、バイエルン社に押しつけたんであろうことは自明。
なにやら、名門東芝の屋台骨を揺るがしたウエスチンハウスのそれと同様であろう。

沈黙の春(レイチェル・カーソン氏)と筑波常治氏

沈黙の春の解説を書いている方が筑波常治氏
カーソン女史の中身はそれこそ、多種多様な情報を集積した貴重な書籍というか一級の研究書であることは論を待たない。
現場に出向かないと書けないことが散りばめられている。
が、真骨頂は解説にあると感じてならない。
カーソン女史が農薬と自然を対比した調査結果を並べているが、筑波氏のそれは、人類と自然との関わりまでをも書いている。
そうだね。そこから考えないと間違いかな?と。
詳しくは、書籍の解説を読まれてください。

沖縄でのウリミバエ根絶と沈黙の春

沖縄は復帰後、しばらくの間、本土に農産物を出荷出来ないで居た。
可能になったのは主に柑橘類に害をなす、ウリミバエを根絶したからだった。この方法はカーソン女史も本文に書いてるが、特定昆虫のオスを大量に飼育し、生殖能力を失くしたオスを大量に散布する。
生殖能力を亡くす方法は、主に放射線照射で米国ではおこなったらしい。
沖縄でどうやったのかは不明だが、この方法でウリミバエが根絶され農産物の内地での販売が可能になった。
内地でも柑橘類やらゴーヤやらが店頭に並び、栽培されるようになった背景のひとつかも知れません。

筑波氏が書いてることの本質の一つが種の根絶を行なうことで人類は生息域を広げているとある。
そうなんだよね~ 稲作農家も野菜農家も品種改良により多収品種、より糖度の高い品種の導入を図っているが、肝心なことは、原種と違い、奇形種と呼ばれても違和感の無い農産物を育てていることになる。

複合汚染

蛇足ですが、カーソン女史は農薬の害を中心に自然界への影響を書いている。10年ほど後に、朝日新聞に連載されたのが有吉佐和子女史の名著。複合汚染。農薬のみならず、河川、排ガス、洗剤と人間の営みに影響のあることを多岐にわたり書いてある。

農と食の世界は、とてつもないジレンマの只中に存在していることになる。

それでも、耕作をやめるわけには、いかない!

負荷を極小まで低減することが残された基本姿勢かも知れない!

野生のキツネに遭遇した朝にいろんなことを考えさせられた。
心して農場構築支援を行わないといけませんね。

楽園農場! 一社)畑作公社






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