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私が意見や演奏を発信し続ける理由

"クラシック音楽"は、ある程度、
『自由に演奏表現するためのルール』が存在するけど、

"音楽" や "芸術"という広い視点から見るとそのルールが緩和、もしくは無くなる。
その人が楽しんでさえいれば、それは音楽になりうるし、
芸術だと認識する人がいればその人にとっては芸術になるから。

誰かの演奏を引き合いに出して、
「これはクラシックのルールを守っていない」というのは簡単だけど、
その伝え方や書き方が悪いと傷つく人が出てくるし、

音楽の裾野を広げるという点で考えると、
新しく音楽を始めようとする人たちにとっては「そんなに厳しいならやりたくない」と思ってしまうかもしれない。

厳しいことで興味を持ってくれる人もいるかもしれないが、
できるだけ、その厳しさを楽しさに変えて発言したい。

もちろん、
文章を読む(言葉を聞く)人間にも知識や技術が必要であることも確かだ。(アドラー『本を読む本』を読んでください。)

だが、私が自分の意見の発信や、
ピアノ練習や演奏をYouTubeなどで配信し続けているのは、
この言葉が心にあるからだ。

トーマス・ワトソン
「不確かな持論を持つ思想家の道を辿れ。自らの考えを論争の脅威にさらけ出せ。率直に意見を述べ、変わり者のレッテルよりも、従順という汚名を恐れよ。
そして、自分にとって重要に見える問題のために、立ち上がり、どんな困難にも立ち向かえ。」

間違っていると思うことや、おかしいと思うことに対してちゃんと意見を言える人間でありたい。
どんなことでも自分の考えを述べられる人間でありたい。
そして、音楽の場合は、言葉だけでなく演奏という行動でも示したい。
トライアンドエラーを繰り返したい。

クラシックの業界では、
「そんなことは口に出さないほうが良い」「今までみんながやってきたことをそのままやる」という人が多い。
伝統とかルールがあるから、それもわかる。

ただ、今はネットの時代。
情報や知識や意見はオープンにすることで、
もっと業界全体の成長に繋がることも多い。
もちろん、良い意見やアイディアはどんどん真似されるから、
発信した本人もどんどん成長していかないといけない。
…それがいいじゃないか。

わかる人にしかわからないことでもいいのだ。
あるテレビ番組でのタモリさんの言ったことに、とても共感した。

とにかく、自分自身が楽しんで情熱を傾けることがすごく大事なんだ。

これからも、自分が楽しいと思うことを真剣に遊び尽くす人生を送りたい。
もっと圧倒的熱量で発信していきます!

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