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【芸術は時として呪いのようだ 】映画『フェイブルマンズ』感想

劇場で初めて観たスピルバーグ映画は『ロストワールド』だ。当時『もののけ姫』と同時期に公開されたこともあって劇場が大変混雑していたことを覚えている。友人数人と2本とも鑑賞し「どちらが面白かったか?」を言い合ったのも懐かしい(ちなみに友達は全員『ロストワールド』を選んでおり自分だけ『もののけ姫』を選んでいた)。

子供の頃、自分にとってスピルバーグこそハリウッドを象徴する人物であり映画の神様だった。
『E.T』、『ジョーズ』、『インディ・ジョーンズ』、『ジュラシックパーク』驚きと興奮、感動があり大きな影響を受けた作品だ。『A.I.』、『マイノリティ・リポート』などのSFにも魅了されたし『シンドラーのリスト』、『プライベートライアン』では、戦争映画には感動させられただけでなく、懐の広さにも驚かされた。

その後『ブリッジ・オブ・スパイ』や『ペンタゴン・ペーパーズ』などの社会派映画を多く撮るようになり「面白いけど、あの頃のスピルバーグ作品が懐かしいな…」と思っていたら『レディ・プレイヤー1』で久しぶりに童心に帰るような作品を作り驚かせてくれた。

前置きが長くなってしまったが、自分のようにスピルバーグの映画を観て育った人は多いだろう。そういう人にこそ本作を観て欲しい。

2022年製作/151分/PG12/アメリカ

スピルバーグの新作『フェイブルマン』は彼の自伝的映画だ。

自伝的とあるが、スピルバーグが映画監督として活躍する時期を描いた話ではなく少年期が題材となっている。

子供のスピルバーグ(サミー)が映画撮影に目覚めるところから、映画監督としスタート地点に立つところまでが描かれる。また史実に忠実ではないという点もミソ。

スピルバーグの自伝的映画ということで映画愛に溢れた話を想像していたが、これは芸術を志す者全てに通じる普遍的な話だと思った。

意外だったのはスピルバーグの映画の捉え方。
スピルバーグは映画を「好き」や「愛」というものさしで語っていない。

この映画から感じたのは「僕には映画しかない」という、映画でしか生きられない男の生き様だ。

象徴的な場面がある。サミー大叔父が家族を訪れる場面だ。
自身も映画の仕事をしていた彼は、サミーの映画に対する才能と運命をいち見抜く。

彼はサミーに言う「映画は喜びを得られるが、痛みを伴い孤独になっていく」と。この言葉はスピルバーグの人生を象徴するかのように現実になっていく。

この後、サミーは自分が撮ったフィルムを編集することで母の裏切りを知り傷つくことになる(このことが直接的な原因ではないが両親は離婚することになる)。サミーが学生の映像を撮って称賛される時、彼は恋人に振られ落ち込んでいる。

映画は喜びをもたらす代わりにサミーから大切なものを奪っていくようにも見える。スピルバーグにとって映画とは「呪い」のようなものかもしれない。

人とコミュニケーションを取る手段が映画という点もサミーと映画の関係性が表れている。母親の浮気を告げる際にも言葉ではなく映画を使い、学生時代にはクラスのリーダー格の子と映画を撮ることで近づこうとする。

最初に映画を撮るキッカケになった「映画の中では全て支配できる」という原体験がそうさせるのだろうか。
いじめっ子に言い放つ「映画の中でだけでも友達になれると思った」という台詞は切ないが、そのアプローチの仕方はまさに映画オタクそのもの。

スピルバーグにとって映画は「好き」を通り越してアイデンティティの一部なのだ。

これは映画に限らず絵や音楽、芸術を志す全ての人に言えることだと思う。
彼らは創作活動を通じて他人とコミュニケーションを図る。創作活動こそが生きがいでもある。

そして歴史に名を遺した芸術家の多くがそうであるように孤高の存在となるのだ。

スピルバーグって本当に自分のために映画を撮ってる気がする。撮ってる時が一番楽しそうだし、上映中もお客さんの反応をあまり気にしてないように見える。

映画はサミーだけでなく彼の母親と父親の姿も描かれる。
特に母親の人物像と母子の関係性が深く掘り下げられてると感じた。

スピルバーグ作品では母の存在感が強いということが特徴として挙げられる。母は強く逞しく存在である反面、父は存在そのものが薄い。

こうした背景にはスピルバーグの家庭環境が影響していたのだろう。
サミーは母親と似てアーティスト気質だ。だからこそ母はサミーの映画撮影への思いを理解し後押しする。

対し、父は最後の最後までサミーを理解しようとはしない(最終的に根負けするが、映画活動を早く辞めさせるべきだったとぼやいている)。

本作でも父の存在感は母より薄く描かれる。ただ、サミーの父は決して嫌な人間じゃない。物静かで才能に溢れた人だ。

スピルバーグの両親は実際に離婚しており、スピルバーグは両親の離婚を通じて『E.T.』の製作を思いついたらしい。このことも映画を撮るたびに孤独になっていくという台詞と被っている…

スピルバーグは、父を映画という芸術という点では相容れない存在としながら、一人の人間として敬意を表している。それは母に対してもだ。

母の「親」としての面だけでなく「一人の人間」としての一面を見たからこそ2人の間にはより深い関係性が生まれる。2人が似た者同士という点もあるだろう。母の深い部分を観ているからこそ、スピルバーグの作品では母の存在が強く描かれる。

母親を演じたミシェル・ウィリアムズと父親を演じたポール・ダノの演技が本当に素晴らしかった。特に家族でキャンプに行った際の車のヘッドライドをバックに舞う母の姿は劇中でも屈指の美しさ。アカデミー賞ノミネートも納得である。

ちなみにこの母の髪型、本当にスピルバーグの母親の髪型と同じなんだね。

スピルバーグの作風の源を知れるという意味でも引き込まれるが、物語としても大変面白い。派手さこそないが、話の展開が上手く自然に引き込まれていく(ちなみに本作は、アカデミーの脚本賞にもノミネートされている)。

個人的ハイライトはサミーのカルフォルニアでの学生時代を描いたパートだ。

オタクな主人公に嫌ないじめっ子、美少女ヒロインとの恋に逆転劇と、ここで描かれるサミーの学生時代は、まさに自分が子供時代に見たスピルバーグの映画そのもの。

「そう、これだよ、これが俺の好きなスピルバーグだよ!」と懐かしさと好きという感情が湧いてきて一気にテンションが上がった。スピルバーグのジュブナイル映画としての要素が好きな人なら、この場面はテンションが上がったに違いない。

スピルバークという監督の人となりに触れた気がする一方、改めて彼の作品が好きなのだなと気持ちにも気付かせてくれた。
前書きでも述べたが、思い出とともにある監督はやはり特別だ。

話題作が多い今、敢えて本作を絶対観て!と強く勧める気はしないが、スピルバーグ作品で育った自覚のある人はどこかで観て欲しい。そう思える素晴らしい作品だ。

【参考】

※映画監督による「映画」を題材にした作品という点で奇しくも『バビロン』と比較しながら観ていた。チャゼル監督が「映画愛」を謳う一方、巨匠のスピルバーグがこういう風に映画を捉えていたのは意外。

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