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ポジショニング論争

新年あけましておめでとうございます。今年も頑張っていきますのでよろしくお願いします。


火種はいつどこにでも現れる

あ、私の事ではないです。私は北関東にしか現れません(例外あり)。でも自分がいつでも炎上の起点になり得るという自戒をアカウント名にしてるので完全に違うとは言えないか(何言ってんだコイツ)

さて、今年最初はこんなツイートから始めます。

まあ、炎上しているとは言えませんが、少し気になったので紹介致します。
これはEF64重連の貨物列車が走る中央西線のとある撮影地での出来事です。長年この地で撮影されているベテラン撮り鉄の怒りのツイートだと思いますが、これに色々な角度から反応が来ました。概ねこの方の主張を支持する内容でした。というか大多数の鉄はこれに賛同しますし、私も概ね正しいと思っています。先にポジショニングした者が優先は撮り鉄における絶対のルールです。ただ、それが如何なる場合も然りとは言えませんよ。。。

そもそも

決定的瞬間を撮るには、その瞬間に居合わせるだけでは不可能で、あらかじめカメラを構えてその瞬間を待っていなければならない。鉄道写真に限らず、動物でも風景でもスポーツでも同じ事が言えますね。その時に他の撮影者とのトラブルを防ぐために早い者勝ちは自然に浸透していったのではないでしょうか。考えてみれば商品やサービスの予約システムも先着順が基本になっています。そういう世の中の一般常識が(珍しく)撮り鉄においても適用されて、この原則が大前提となって今まで動いてきました。

なぜ今この論争が?

後から来た人間がとやかく言う権利はない、という主張は近年になって説得力が少し薄れているように感じています。それは前回の「Vの安売り」論でも述べた需要と供給の逆転現象に由来します。
色々な事情が入り組んでいて、それをいちいち嚙み砕いていると文字数がとんでもない事になり議論も錯綜するので敢えてここでは深入りしません。
まず言えるのは、限られた被写体・限られた撮影地に多すぎる撮影者が集まってしまう事。ポジショニング争いは過熱し、罵声が飛び交う事もあります。とりわけ駅でのバルブ撮影が顕著ですね。それでも現在は2010年前後の大宮駅よりはマシになっているらしいですが、それは時間をかけつつある種の秩序を形成していく過程にあるという事なんじゃないでしょうか。

雛壇

この言葉も今は撮り鉄において浸透してきています。
撮影者の数があまりに多いと、各々が好きなように構えたら他人のアングルに干渉してしまう撮影者が出てきます。そこで全ての撮影者で一つの大きな塊を作って、撮影者同士が近付く事で構図への干渉を極力なくし、前列ほど低く後列ほど高くする事で後ろに追いやられても前の撮影者に邪魔されず視界を確保するのです。全員が撮れるのは勿論、散り散りの撮影者をひとまとめにする事で省スペース化を実現し、撮影地のキャパシティを最大化ないし往来に配慮した撮影も出来る一石二鳥どころか一石四鳥ぐらいの素晴らしいシステムなのです。
バリ鉄やSL爺や編成写真家などの上級者たちはほとんど無意識のうちにこれをやっており、また大人数が集まると彼等の呼びかけによって構築されていきます。上手い人が仕切ると、少しでも動けば誰かに影響するギリギリの状態を保った洗練された雛壇となり、外から見ても壮観です。

私のYouTube動画『㋵に賭ける』より

雛壇の方針は若年層を中心に理解されていますが、たまに変化する撮り鉄の情勢に追い付けずに古い価値観のまま現代まで生きて来た人や、悪い意味で我が道を行って大勢から煙たがられる人が居て、これがポジショニング論争における核となります。いわゆるアングルキラー(アンキラ)とかキャパシティ・クラッシャー(キャパクラ)です。

撮影地でキャパクラとバトった話

第1話~2021年8月、東北本線沿線のとある有名撮影地にて~
いや、分かる人には分かるように敢えて具体的に書きましょう。片岡~蒲須坂間にある蒲須坂踏切(通称「カマスのお立ち台」)での出来事です。この日はカシオペア紀行の返却回送が運転され、それを撮るべく私の友人が数名そこに行きました(私は撮りませんでした)。友人曰く、撮影地に到着した時点で先客が2人いました。うち一人はお立ち台に置きゲバしており、もう一人は踏切から脚立ハイアンしていました。この撮影地でカシオペア編成を撮る場合のベストポジションはお立ち台と呼ばれるコンクリートの高台です。友人は、まだ空いていたお立ち台にポジショニングしましたが、踏切から撮る人が構図に干渉してしまうため、その人に呼びかけたそうです。するとその人応えて曰く「先に来たから退かない」と。
結果、上スカ。その人が写り込まないようにするにはカメラを上に振るしかなく、上半分が無駄な余白になり中途半端な出来になってしまったのでした。

第2話~2022年3月、同所~
この日は地震の影響でストップした東北新幹線の乗客救済を目的とした臨時快速列車が走っていました。私は自転車で現場に急行し、2番目に到着しました。先客に挨拶して三脚を立てようとしますが、後から一人来るからその分を空けておけと。ならばと一人立てるぐらいの余裕を残して線路寄りにポジショニングしようとすると、そこはダメだと。いや別に貴方とお連れ様に干渉する訳じゃないでしょうよ、と反論すると「線路に近すぎる」と。何言ってんだ電車は止まらないし建築限界の外だと言おうとすると、そいつは更に捲し立て、お前みたいな迷惑を顧みない輩のせいで俺らまでが損するんだと。私はとばっちりを喰らいました。相手が1DX使いの中年男性とはいえコイツに屈する訳にはいかぬと反撃しました。じゃあ少しずらしてココはどうですかというと自分に近すぎる、だからダメだと。
???「密です」
いい加減にして下さいよ、私としても先着した貴方のポジションは尊重しつつ皆が気分よく撮れるようなポジショニングを心掛けてるんですからと言えば、お前のせいで自分は気分悪いからどうのこうの、そんなに言うなら先に来いよ云々。そんなに雛壇が嫌なら人が全く来ないショバで撮れやこの野郎。とは言いませんでしたが、そろそろ呆れて来たので撮影は諦め、顔と口調と機材と車を覚えて帰りました(モノは上野~黒磯~宇都宮~黒磯~上野という動きで、諦めたのは黒磯→宇都宮の回送。そいつが撤収してから現場に戻って黒磯→上野を難なく撮りました)。

第3話~2022年7月、東武鬼怒川線沿線のとある有名撮影地にて~
その日はSL大樹が東京スカイツリー開業10周年のヘッドマークを掲出していました。定番構図を手堅く抑えて回るため、下りを撮影後上りの撮影地の個人的ベストポジションに踏み台を置いて立ち位置を主張してから鬼怒川温泉での機回しを撮りに行きました。機回しの撮影を終えて上りの撮影地に戻ると、場所取りをしたポジションよりも前進した位置に見たことないオッサンが構えており、嫌な予感を抱きつつ構図を組むと案の定その人の頭が完全にフレームインしてしまいます。入るからもうちょい立ち位置を後退して下さいと言うと、ソイツが先攻でレスバ開戦。後から来ておいて指図するなと。
「いやいやこっちは踏み台置いて予め主張しておきましたよ」
「それはあっただろうけどどう撮るかなんてわかんねぇよ」
「わかんねぇなら勝手に変なとこ立たないでくださいよ大体そこ前進しすぎて間延びしますよ」
「うるせぇな撮りたいように撮らせろや」
「あのォ私は何十回と通って一番きれいに収まるとこに構えてんですよ何なら私の前に来て撮りましょうよ」
「だから(以下略
埒が明かないので結局またしても私が折れました。目線を上げれば抜けたので、無駄ハイアンで撮影。

実例を踏まえてポジショニング論争を考察する

こうした事例から、先着絶対主義を持つ人は得てして自己中心的で、自分が正義の味方になったつもりで後続にマウンティングするまでは良いけど絶望的に協調性が欠如しているか良い写真が撮れない間違ったポジショニングをしがちな傾向にあります。これはあくまで個人の経験に基づく単なる感想に近いので断定してはいけませんが、割と信憑性はあると思っていまして、こういうのを見ると先客に従うより上手い人に従う方が良い事があります。雛壇形成の場合とかそうですね。
特に編成写真って僅かな立ち位置の違いが構図に影響します。場所がある程度広くても、わざわざ一定のポジションにギュウギュウ詰めの雛壇が出来る事がありますが、写真が上手いが故にそれがわかっていてわざわざそういう撮り方をしているのです。
それに雛壇を組めば、全く同じ写真ではなくともほとんど同じ写真が撮れるため、その中に混ざってしまえば割とうまくいく事が多いです。
片や「ちゃんと先客の方を優遇しますから我々と一緒に雛壇を組みましょう」、片や「後から来た分際で色々指図するのは非常識にも程がある」。私は前者の価値観に近いですが、互いの価値観を否定する事なく折り合いをつけていかないと、この対立は永遠に終わる事がないでしょうね。
とりあえず年上だからってだけで高圧的になる人は考え改めて欲しいです。写真が上手ければ従いますけど、少なくとも定番の編成撮影地でベスポジに干渉する構え方をする人が自分より上手いとは思えないwww

冒頭のツイートに戻りますが、追っかけ撮影で直前到着だとしても通過直前まで動くのは普通に邪魔くさいし、モノ撮ろうとしてる先客を刺激しない程度にやって欲しいですね。あとはもう少し運転を頑張るなり前のショバでの撤収をスムーズにやるなりして追っかけ先で余裕をもって欲しいとは思いました。
しかし先客の方も「絶対に後続の事は考えない」スタンスはこの先やっていけないですよ。先着優先は今後も撮り鉄の共通認識として在り続けるべきですが、はっきり言って先着絶対主義の一点張りは時代遅れで、それをベースにしつつも互いに融通し合うのが現代風の撮り鉄のやり方だと私は思います。0か10かの話ではないので、そこはお間違い無きよう……

そういう私は…

私も決して上手い部類ではないので、慣れない被写体や線区では上手そうな人・慣れてそうな人に従ってポジショニングする事を心掛けています。後から来た人でもなるべく良い構図で撮れるように、三脚の位置は変えずともスマホスタンドを外したりファインダーを覗かずレリーズで切ったりして。
アングルへのこだわりはそこそこに持っていますので、撮り慣れた撮影地であっても早期の場所取りか早い段階での現地入りは心掛けています。ただ自分が先着したからって後続を門前払いはせず、立ち位置を融通したり雛壇に混ぜてあげたりしているのです。脚立や踏み台など乗り物が空いていれば乗せてあげます。対立するより自分サイドに取り込んで協調した方が気持ち良く撮れますしね。
たとえば、去年10月にロイヤル甲種を蒲須坂で撮っていた時も通過10分ぐらい前にNTMRが追っかけで参上したので、私ともう一人の同業者の間に空いていた僅かなスペースを拡張して隙間産業させました。モノが通過する時でなけれなゲバを蹴られても気にしません。すぐ直せるので(通過時は絶対に動いちゃだめよ)。

このレベルの配慮は過剰でしょうか?しかし自分がやられて嫌な事はなるべくやりません。逆に自分がされたら嬉しい事は積極的にやります。
激パの撮影地はチームプレーであり、そこで我を通すのは悪手です。撮り鉄は一匹狼では成り立たない、統制・協調・相互扶助が不可欠な趣味ですからね。

置きゲバは何故生える?

上記の内容と密接に結びつくんですが、最近増えた置き物による無人場所取りって、結局はアングルキラーに対する牽制なんですよね。二度あるかわからない貴重なネタを、先着絶対主義の自己中にベスポジを妨害されたらたまらないですから。当日になれば通過の何時間も前から現場に張ってる暇人がどこからともなく沸いて来るので、前日の夜には置いてしまったり、何日もの間そこに置きっぱにしてしまったり。
自分がそこを抑えてしまえば、完璧にポジショニング・フレーミング出来るし、他にやって来る人を上手く捌いて雛壇を作ってみんなで優勝できる。逆に場所取りをするなら自分達以外の鉄も上手く取り入れてモノ通過までそこに居る全員と協調体制を築く責任があるように思います。
だとしても最近はあまりに過激化の一途を辿っているので、もうちょい自重しようやって感じですが。

むすびに

これは昔の自分に対する戒めの意味も結構含まれています。それこそド下手糞なくせに何時間もショバに張り込んでアンキラやってましたから。ああ恥ずかしい。私みたいな人が少しでも減る事を望みつつ、再びの長い長いお気持ち表明を一旦終わります。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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