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「子は親を選ぶのか」

 この世の不幸な側面ばかり見ているのかもしれないが、「子は親を選べない」と思う。
 比較的「上手くいった」親(ようやく子供を授かった親とか、子供を持つことが少なからず親本人の幸せや心の充足感つながった親とか)の妄言が、「子は親を選んで生まれてきたんだ」という言葉である。ある程度、言語を喋れる子供は「お母さん(お父さん)を選んで生まれて来たんだよ」等と言うかも知れないが、そんなのは2つの場合分けができる。

<精神的に親の面倒を見ざるをえない子供>

 1つは、親が気を遣われているパターンである。本来の役割とは逆に、「落ち着いて相手を慰めたり、気を遣って多少オーバーなことを言ったりする」役割を、子供が背負わされているパターンである。勿論、その間、親自身は「こんなに不幸な自分」に酔っている状態なので、子の面倒を見ている場合ではなく、その事を子は敏感に感じ取っている。親にとにかく次の前向きな行動に移ってもらうために、子は必死に頭を働かせるのである。つまり、この場合に甘えているのは親で、甘え(させ)られているのは子供、という状態である。親の悩みは子には解決できない、できることと言えば、「あなたが好き」「心配だ」というメッセージをどうにか親に伝え続けることくらいである。たとえ、親に殴られたり暴言を吐かれたり、その後に自分勝手な謝罪をされたりしても、である。

<子供に安心感を与える親>

 2つ目は「親が大好き」という感情を、最も親の喜ぶ形で表現したパターンである。「まるで自分は親を喜ばせるために今、生きているのだ」というような幸福な感情を全身で伝えたいパターンである。しかしそれは、親自身が、子供といる時の充足感を、しっかりと意識した上で子供に伝えられている場合にのみ、上手くいく。「親が自分(子供自身)を愛している(好きでいる)」というのは、子供自身の日々の安定と安心感につながる。子供自身が、安心感のある生活がずっと続いてほしいと思うが故に、親の「こんなにあなたが好き」に対して「自分もこんなにあなたが好き」を返してくれるのだ。

<誰も「困った親」の元に生まれたくなんてない>

 ここで言えるのは、2パターン共、やはり子の生活は親次第であり、良くも悪くも親に支配されている、ということである。そして誰だって、自分と相性の悪い人や、逃げ場のない自分にすり寄ってきて無理矢理ご機嫌取りをさせる人とは一緒に居たくない。ましてや、親子関係の内、「親」という明らかに強い存在がそういったタイプであれば、嫌に決まっている。そして、できれば精神的に安定していて、ポジティブな感情の伝え方が上手い親の元に生まれたいに決まっている。金が少ないと、精神的に安定しづらい(親本人だけなら大丈夫でも、子供との生活費となるとやはり不安や心配が生まれ得る)ので、金もあるに越したことは無い。もし私が出生前の子供なら、ギャンブルに金をつぎこんだり、変な宗教や変な思想に囚われていたり、パートナーをとっかえひっかえしたり、子供が弱いと分かりながら暴力を振るったりする親なんか絶対に選ばない。

<無意識に我が子に慰めを求める親>

 だからいい加減、「子供自身がどうにもできない生活環境を、子供のせいにしたり“子供自身が望んでいるから”等という妄言を言ったりしないことである。それは全て、親自身が自分の幸せを確認したいが故の願望であり、今の自分を肯定できない時に限って、子供に「今、幸せ?」「私の下に生まれて良かった?」等と尋ね始めるのである。それらの質問は、言外に「不安な私を慰めて」というメッセージを含んでおり、子供はそちらを敏感に汲み取る。だから(仕方なく)健気に親を慰める。

<人間は皆、弱くて未熟>

 こういう風に書くと「これだから、バカで感情的で精神的に未熟な親はダメなんだ」と思うかもしれないが、人間というのはそもそも「バカで感情的で未熟な」生き物なのだ。そんな完璧な人間なんていないから、完璧な親なんていない(勿論、完璧な子供もいない)。だから、もしかしたら、子供に一切気を遣わせず、安心感のみを与え続けられる人間なんていないのかもしれない。子と親の逆転現象は良い事とはあまり言えないが、「そういうことがあり得る」というのを知っていて、それを前提に育児や自分の人生を見つめ直すのも一つの手段であると思う。
 ただ、大人は子供を育てなくても生きていけるが、子供は養育者が必要である。その圧倒的な利害の差、すなわち、子はどんなに酷い親(養育者)でもそばに居ざるを得ない、という前提を忘れている人間に限って、「そんなことはない。自分は子がいなかったら生きていけない。子の存在が自分の生きがいだ」等と言う。そして、そういう「逃げられない立場にいる我が子」に寄り掛かっている(依存している)人間ほど、自分一人では立っていられないくらい弱い人間なのだ。

<「誰かの子供である自分」と向き合う>

 昨今、不幸なことに、それに気づかない親と子が多い印象を受ける。子はその内、心身に異常をきたし、自分でそこから抜け出せる可能性があるが、親には無い。親がそこから抜け出すには、まず、親自身が「誰かの子供」として、つまり子の祖父母に当たる人物の子供としての苦しみと向き合わなければならない。親を選べないが故に存在する心のわだかまりを減らす、ということである。そして、自分にとって適切な親子関係になって初めて、自分の子との距離感や付き合い方、親の都合で子を利用しすぎていないか、等を親自身の判断基準でもって、調整できるのである。
 したがって、「子は親を選べない」という状況を受け入れたいなら、子供に精神的に世話をさせるのではなく、まず自分自身の親との関係を清算する必要がある。子供の出生を、その子の意思のせいにするのではなく、親自身が、自分の親との関係を省みながら、子の人生との関わり方を模索していくのが、育児の本質なのではないか、と子供を持っていない私は思っている。

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