嫌がらせで2年間不登校だった中学時代を過ごして思うこと

 実は、不登校になったのは2009年2月3日でした。ちょうどこの間、あの日から11年経ちました。今でも昨日のことのように思い出されます。

 以前、「不登校は不幸じゃない」というイベントに参加し、不登校体験談を話したことがあります。不登校ってマイナスイメージがあるけど、こんな進路を辿って今こうしてるから、そんな悲観することないよ。不登校になっても選択肢はたくさんあるよ。っていうのを話すやつです。(雑)


 実際、中学時代不登校でもなんとか生きています。不登校だったから得られたこと、出会えた人、ものは多い。不登校にならなかったらWBCを見ることはなく、野球を好きになることもなかった。野球が自分の生活にないなんて、今じゃ考えられません。生活の8割が野球です。

 また、不登校にならなかったら、支援センターの友人、先輩、後輩に出会うこともなかった。今でも会ったり連絡をとったりする子もいます。キャラが濃い子も多く、センターの友達と遊んでいると楽しいです。「センターに通ってよかった」とつくづく思います。センターではカヌー、茶道、調理実習、魚釣り、いろんなスポーツをしましたが、学校に行っていたらできなかったことばかり。貴重な経験をさせてもらえてありがたかったです。今でもたまにセンターに行っては近況報告をして、先生方と雑談して、心のリフレッシュをしています。※支援センターについては後日改めて書きます

 あのまま学校に行き続けていたら、私の心はボロボロになっていたでしょう。あんな辛い思いをしながら3年間過ごすなんて、今考えると絶対に無理です。学校を休むという判断をしてよかったし、その決断をした自分に拍手を送りたい。それを許してくれた母にも感謝です。

 不登校というなかなか普通の人はしないであろう経験をして、同じ境遇の方々の思いも多少はわかる気がします。不登校になるという感覚やつらさは、経験者にしかわからないと思う。少数派に寄り添える。そういった面では「不登校になってよかった」と思います。


でも。私は正直、不登校は不幸だと思います。


 だって、修学旅行も、運動会も、文化祭も、職業体験も、部活も、クラスで協力して何かをつくりあげる経験も、友達と遊んだりもしてないんです。中学時代の空白が将来にどんな影響を及ぼすか…当時は「その場から逃げたい」の一心だったので当然わからなかったのですが、社会人になって身にしみて実感しています(現在進行形)。

 10代にした経験は大人になって大きな意味をもたらすとよく聞きます。まさにその通りです。

 不登校というより、嫌がらせを受けたことがめちゃくちゃ影響してると思います。①でも書きましたが、学生時代は「学校がすべて」。学校が自分の生きていく社会です。家以外の居場所である学校。1日の3分の1くらいはいます。そんな場所で「キモい」「近づくな」と言われ、避けられ、無視されたら…「自分はキモいんだ。嫌われるような、避けられるような人間なんだ。しゃべったらいけないんだ。いたらいけないんだ」と思い込むしかないんです。

 「いじめる奴が悪い」とはよく言いますが、私が何かしたから向こうの気に障ったのだろうし、いじめられても立ち向かわなかったんだし、結果、自分も悪い。そうやって自分のせいにしていれば、自分が我慢していれば、周りに迷惑をかけることはないという思いは今でも持っています。

 高校でも大学でも、中学時代の経験が尾を引いてたとすごく思います。言われたことを言われたとおりにすれば、大人しくしていれば、周りから浮くこともないし、誰かの目に留まることはない。何か言われることはない。自分から進んで発言したり、率先して行動したりするとまた目をつけられる。だからもう自分から積極的にいくことはやめました。小学校の頃は、人前は苦手だったけど自分から男子を誘って遊んだり、発表も積極的にしたりしていました。でも今はそんなことしません。というか、できません。話し合いでも自分は意見を言わずに、人の意見を聞いてばかり。何事も消極的になりました。正直、性格が変わってしまったと思っています。


 余談ですが…学校は、言われたとおりに真面目にしていれば褒められる世界でした。わたしはそっち側の人間でした。いじめもそう。周りから浮いた、ちょっと目につくような人を標的にするから、大人しくしていればいい。でも、社会に出ると言われたとおりにするだけでは、真面目なだけでは排除される。自分で考えて行動したほうが、ズル賢いほうが褒められる、評価される。正直者や真面目な者が馬鹿を見る。それは生産性が重視される社会として仕方のないことだと思うんですけど、この矛盾、何なんですかね?それなら学校で「真面目ばかりではいけません。大人になったらズル賢く生きましょう!」って教えてくれや。その練習させてくれや。真面目なやつがどんどん生きづらい世界になっていくぞ。


 戻ります。よく「傷ついた分だけ強くなれる」って言いますが…経験者から言わせてもらうと、それは嘘です。メンタルはさらに弱くなります。普通の傷でも怪我した部分は皮膚が薄くなっていたり、跡が残ってますもんね。トラウマがあるのに強くなれるわけがない。高校時代「中学のとき不登校になったけど、3年のとき学校に戻って2年ぶりに教室で授業を受けるという試練を乗り越えた!だから高校でどんなことがあっても乗り越えられるはず!」なんて一瞬でも思った自分が馬鹿でした。クラスの男子はもちろん女子も怖かった。クラスの人がふざけていて先生が怒ると自分に対してじゃないのに酷く怯えてた。中学のときと同じ部活に入るも中学の苦痛な思い出が蘇ってしまい3ヶ月で辞め(なぜ同じ部活に入ったんだろう)、学校を辞めることも考えました。

 あとは体育の授業や球技大会や学祭が本当に嫌で嫌で仕方なかった。中学時代、運動会や文化祭などのクラスで何かをする経験をしていないので、どういう立ち位置でいればいいかわからないし、自分が迷惑をかけたらまた標的になる…というマイナスな考えしかなくて、全然楽しめなかった。とにかく学校が嫌でした。高3の後半は勉強勉強だったのでわりと楽でしたが。

 ちなみに似たような言葉に「傷ついた分だけ優しくなれる」がありますが、これは強ち嘘ではないと思っています。恐る恐る考えながら会話するので人を攻撃する言葉は言いません。でも肯定ばかりでおもんないやつだと思われる可能性もあります。


 今塾講師をしているからか、「不登校にならずにちゃんと3年間授業を受けてたら、もっといい高校に行けて、いい大学にも行けて、いい仕事についてたのかな」と思うことが多々あります。独学で勉強して自称進学校に行けたのは奇跡だと思うのですが、これ教室で授業受けていたらどうなってたんだろう。もっといい高校に行けたんじゃないかな。と後悔することも多いです。

 何か良くないことが起こると、「自分がこんな性格だからだ」と必ず自責する思考の仕組みになってしまってます。自分のせいにすれば、一番平穏に収まるから。でもそれでしんどくなってるのは自分なんですよね。でも事実なんです。あのとき嫌がらせに耐えて学校に行って3年間過ごせたら、また違った「達成感」が得られたかもしれないし、何よりたくさんの有意義な経験ができたんじゃないかな?と思います。中学時代にクラスで過ごしてなかったから人間関係の築き方もわからないのかな、ってよく思います。1回「普通の道」から反れてしまった地点で、もう後戻りはできないし、あのとき敷かれたレールにそのまま乗っていたらこんな悩むことなかったと思います。


 なので総じて「不登校でよかった」とは思えません。

 わたしの思いは以上です。

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