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7.20 旅は夢の中の瞬く光~広島

巡礼旅から帰ってきてちょうど1週間、あまりの蒸し暑さにクラクラしながら少しずつ各所に帰国の報告に行っている。

「あんまり痩せてないですね」「思ったほど黒くないですね」「本当に海外行ってたんですか?」「実は家にいたんじゃないですか?」……いろんなことを言われるが、確かに私もそう思う。私は本当に巡礼に行っていたのか? 本当に3ヶ月も家を留守にして異国の地をほっつき歩いてきたのか? そこんところの現実感がまったく手元に残ってないのだ。

それは日焼け跡が肌になじむように時を経るごとに薄れていった――というわけではない。私の場合、成田に降り立った途端、あっという間にそこは現実、日本になった。一瞬にしてモードが「日常」に戻っていた。

京成特急に乗ったときはもう都内の乗り換えを頭に描いていたし、地元のホームの階段を下りているときは近所で打ち合わせを終えた後と同じ足取りだった。3ヶ月前の東京(広島)と今の東京(広島)が何事もなかったかのように接続されている。その間の3ヶ月の冒険・非日常は蒸発・気化でもしたかのようにスッポリ抜け落ちてしまっているのだ。

まるで離人症の患者のように、自分が本当に長い旅をしたのかリアルに感じられない。私が見た風景、私が会った人たち、私が食べたごはん、私が歩いた道……どれも夢の話のようでピンとこない。あれはいつか観た映画の中の風景じゃなかったか? 私が頭の中で勝手にこしらえた人物だったのかも? 

確かに(むしろ激しく)それは在ったはずなのに、たった1週間で(本当は成田に降り立った瞬間から)私の濃密な記憶は現実味を失おうとしている。

私がいま旅が現実にあったことを実感できるのは、モロッコでバリカンで刈られた後頭部に触れるときと、1,000キロ散歩の代償である全身の関節痛に顔をしかめるときくらいである。しかしやがてそれも消えていく。

あとは実際に夢の中、目が覚めようとするまどろみの中に旅で見た風景があらわれる。リスボンのパレード、ビーゴで食べた寿司、モロッコ市場の喧噪……うとうと、うとうとしながら私はそれを懐かしむ。私は確かにそこにいた。いたはずだ。風景はまぶたの裏で、いつもまぶしく輝いている。私の脳は片付かない荷物をひとまず押し入れに放り込むように、あまりに日常から掛け離れた思い出を「夢」と同じ箱の中に押し込めたのだろうか?


旅の最中、この旅行記を書いていて「美しい」という言葉を何度も使う自分が意外だった。「美しい」は日本ではまず使わない。きれい、かわいい、いい感じ、見事、端麗、素晴らしい、素敵、やばい、ゴイゴイスー……あたりが普通で「美しい」はない。使う機会もめったにないし、そもそもそんな感情は湧いてこない。

しかしこの旅では「美しい」と打たれることが幾度もあった。逆にそれは素敵とかきれいとかゴイゴイスーみたいな言葉では足りず、「美しい」としか言えない感情だった。私は旅のあちこちの場面で、「美しい……」としか言えないため息をついていた。

巡礼旅の道中、きつい坂を登り切って見上げたスペイン・カミーノの5月の青空。見たことのない絶景と自然が織りなす一瞬の造形。

大西洋の水平線で起こる完璧な夕焼け、それを日常にしている橙色に染まる村々。

大切に守り、現在に引き継がれているパリの建築物。人々の心をうるおすマロニエの新緑。

リスボン、炭火の前で汗だくになって魚を焼くおばちゃん。同僚と軽口を叩いて笑う。

元気いっぱいの子どもたち。幾重にも囲む父母、祖父母、ご近所さんの愛。

牛、羊、ロバ、ヤギ、猫、犬……当たり前のように共存する人と動物。山を彩り、家を飾る花の鮮やかな色彩、不思議な形。

教会、モスク、その途方もない装飾の精巧さ。レオン大聖堂のステンドグラス。

ひざまずき、祈る人々。十字を切って唱えるアーメン、ハレルヤ。

用もないのに声を掛けてくれる地元民たちの素朴さと親切。足にマメを作りながら朝5時に起き、重荷を背負って出発する巡礼者たちの背中……。

結局私は何の信仰も持たないまま巡礼旅を終えたが、もしかしてずっと祈りに近いことをしてきたのかもしれない。私はこの旅で数々の美しい瞬間に出会ったが、むしろ美しいと思える瞬間に出会うために旅をしていたフシがある。

美しいとは絶対であり、超越だろう。自分よりはるかに偉大なもの、人間よりもっと大きな存在に出会い、打たれ、こうべを垂れて帰依する。震えて見入り、讃美し、そばにいられることに感謝する。いま生きているこの世界が素晴らしい場所であると信じられる力をもらう。

私が見てきた美しい瞬間は今は私の夢の中にある。ぼんやりした起きぬけの時間帯、目の奥で何かまばゆいものが瞬いている。確かにこの地と地続きにある美しい光が残像のようにフラッシュしている。

私はこれからこの国で「美しい」とつぶやくことはあるのだろうか? この故郷でどれだけ美しいものを見つけることができるだろうか?

そう考えると、瓢箪から出た駒だったが、私は確かに巡礼をしていたのだと思う。



今回の旅に出る際、意識していた映画が2本ある。『イントゥ・ザ・ワイルド』と『ノマドランド』。

特に『ノマドランド』は老いと旅と美しさをテーマにしていて他人事と思えなかった。たまたま帰りの飛行機の作品リストに入っていて再見したが、まさしく。下の映像は私がこの旅で見た風景、心境とまったく同じだと思う。










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