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8.11 五十一歳の夏休み~広島(完)

3ヶ月の巡礼旅から帰ってきて1ヶ月弱、私の身体に思わぬ変化が表れている。帰国直後は出発前から体重2キロ減で、いろんな人から「あんまり痩せとらんやんけ」「巡礼効果ないやんけ」とやいのやいの言われてきたが、なんとそれ以降ぐんぐん落ちて4キロ減。計6キロ減。「痩せたねー」「巡礼効果すごいね!」と言われ複雑な気持ちになっている。

確かに日本に帰ってからやたら身体がしんどく、ひたすら寝てばかりいる。クレイジーな気候のせいか単なる夏バテか不明だが、旅の疲れがドッと出ているという線は否めない。3ヶ月違う枕で眠り、1,000キロの道のりを歩いたのだ。異国ということで常に気を張っていたところもある。それが帰国後、一気に出た。心身ともに使い物にならず、心はもはや「夏をあきらめて」研ナオコ状態。意味深なシャワーだ。ナオコおばあちゃんの縁側日記だ。

つまり私は今、代償を払っているわけである。3ヶ月の旅の間、私は幸運にも身体は健康、気持ちはハイテンションを維持してきた。しかしそんなものが長続きするはずはなく、負荷は旅の躁状態の下、丁重にごまかされてきた。それが帰国後、どろどろと流れ出した。51歳の身体に今回の旅はそれだけヘビーなダメージを与えていたのだ。

ということで、私は今ものすごくだらけた生活を送っている。旅で散財したくせに仕事もないしヤル気もない。「どうせ外は異常気象だし、8月いっぱいは夏休みでいいでしょ」みたいな気分もある。あと、3ヶ月家を留守にした家族のために毎朝朝日に向かって「巡礼旅に行かせてくれてほんとーにありがとーございます」と感謝の祈りを捧げ、リアル夏休みで家にいる息子のために昼ご飯を作るというタスクも負っている。麦茶作って、麦茶作って、チャーハン作って、麦茶作って……おまえ麦茶飲みすぎだろ!と思っても私に言える資格はない。だって父はフラーッとアフリカ行ってきた放蕩野郎なのだから。

おかしいな、こんなはずではなかったのに……私は我が身を振り返る。

旅に出る前、私は帰国後バリバリ働いている自分の姿を想像していた。というか私はバリバリした男になるため、長旅に出たと言っても過言ではない。私は51歳で人生に煮詰まっており、「巡礼旅で自分を見つめ直す ⇒ 旅先で新たな自分を発見! ⇒ 心身ともにリフレッシュ&ヤル気もUPして帰国 ⇒ 『おお、清水が別人のように生まれ変わっている! やっぱり巡礼に行っただけのことはある!』と羨望のまなざしを受け流しながらブランニュー清水浩司として第2の人生を快調にスタート」という非の打ちどころがないシナリオを描いていたのだ。

しかし現実は、「巡礼旅で自分を見つめ直すことなくフツーに旅を満喫 ⇒  遊びがすぎて心身衰弱 ⇒ 帰国後何のプランもない ⇒ 途方に暮れる51歳(←イマココ)」……書いていて泣きたくなるような大惨事である。一体どうしてこんなことになってしまったんだろう?


日本に帰ってきていろんなことを聞かれる。「どの国がよかったですか?」「何がおいしかったですか?」は定番だが、予想以上に多くて驚いたのが「巡礼旅をして自分の中で何か変わりました?」だった。「なんだ、みんな意外とスピリチュアルなんだな」と思いつつ、私は淡い夢をバッサリ断つようにあえて明快にこう答える。

「いいえ、何も」

沢尻エリカの「別に……」ばりの取り付く島もない解答だ。実際私は聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道のりを踏破し、巡礼証明書をもらったにもかかわらず内面は何も変わらなかった。『深夜特急』の聖地であるサグレシュにも足を運んだし、人生初となるアフリカ大陸も訪れたが、結局私は私のままだった。感動もしたし、感慨はあったが、「人生変えちゃう夏かもね」にはならなかった。解脱はなかった。奇蹟もなかった。天啓は来なかった。ヒラメキもなかった。ターニングポイントなんかあったっけ? 残ったのは「あー、面白かった」という楽しさフルスイングした思い出ばかりである。

3ヶ月の巡礼旅をしても何の成長も変化もない――私に言わせれば「そんな簡単に解脱できると思うなヨ」というのが本音だが、現実的に金と時間を投資してこのザマというのはどう捉えればいいのだろう? まるっきりの空振りフルスイング? 

はたしてSAWAKIはどうだったのか。『深夜特急』の最終巻を読み直してみたが、「ワレ到着セズ」とカッコつけたことぬかすばかりで、旅の後のことについては一言も触れてない。さらに言えば、あれほど劇的に記憶していたサグレシュのシーンも再読したらめちゃくちゃそっけなかった。私は自分で創り上げた幻想に振り回されて、広い欧州をさまよってたってわけか。そして身も心もスッカラカンになった旅の尻拭いもテメエでやれってことか。

出発前に東京で、広島で、壮行会をやってくれた人たちが今度は帰国会をやってくれた。迎えてくれる人がいる有難さは、旅のごほうびである。そして気の置けない仲間から、またしても容赦のないダメ出しの声が飛ぶ。

「note最初は面白かったよ。でも旅がうまくいきはじめてからはイマイチ。だって人が楽しく旅してるところなんて、読んでも何も面白くないじゃん」

「やっぱり途中でスマホを海に投げ捨てるとか、知らない人に付いて行くとかしないと。やらかしや事件がないと話としては弱いよね」

ごもっともっす……他人の楽しい旅なんて見てても何も面白くないよね。

と、ここでフト思う。だったら帰国後のこんな散々な顛末の方がエンターテイメントとしては面白いんじゃないか? 何の答えも見出せず手ぶらで巡礼旅から帰ってきた今とこれからの方が、ハッピーエンドな旅行記よりよっぽどスリリングな「巡礼譚」なんじゃないか?

さて、私はこれから一体どうやって生きていこう。

状況は「宿題」が終わらないまま二学期を迎えてしまった子供と完全に一緒である。このまま何事もなかったかのように元いた場所に戻りたい気もするが、それはそれで物足りないような気もしている。旅の詳細は少し寝かせていつか旅行記にしたためたいが、今は一寸先も分からない。

51歳の夏休みがこんなに長く続くとは思ってなかった。

祈ったり迷ったり、「旅してるな!」って感じのする今日この頃である。
                         (2023・完)



4ヶ月、お付き合いのほどありがとうございました。自分の書きたいように好きに書くってすごく楽しいことだと改めて感じました。旅の間も「書く」という時間があったことは大きいことでした。また気が向いたら「ぼんやりした巡礼 シーズン2」でも……まあ、気が向いたら!







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