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「それを言っちゃぁ、おしまいよ」というフレーズのおしまい加減

ふと思うことがあるんです。何気なく出てくる言葉について。

私は、陰謀論とかそもそも論とかが好きなんです。陰謀論って敬遠されがちだというか、「何言っちゃってんの?」というリアクションする人が多いですが、私は登場人物の立場など知り得る情報からその人の視点に立ってみて話を組み立ててみるので、多視点で捉えることで俯瞰での視野も得られ、とても面白いです。「そもそも」という言葉は、根底からひっくり返したり、ガラポンしちゃったりする時によく使います。話が本質から逸れて迷走していたり、敢えてなのか知らず知らずなのか本質を追求することを避けている時に使うと愉快痛快大爽快です。

そこで、しばしば耳にするのが「それを言っちゃぁ、おしまいよ」というフレーズです。簡単に言えば、「裸の王様」と同じ状態ですよね。根本的な問題を分かっているのに、見て見ぬふりをして解決は先延ばし、我関せずが暗黙の了解。どうしてそうなってしまうのでしょう。「どうせ無理」の精神を教育しているからでしょうか。(植松努さんのスピーチ参照)

触れてはならない「大前提が間違っているのではないか」という話しをするのはNGだというならば、もうそれは、大前提に問題があることも、それを黙認してスルーしていることも理解している訳ですよね。「それを言っちゃぁ、おしまいよ」と言う人は。

つまり、このセリフを吐く人は、「自分は既にオワッテル人物です」と言っているようなものなんだということではないでしょうか?
もし、誰かと話していて「それを言ったらおしまいだょ」と頭に浮かんだなら、それはきっとその人のマインドをシフトすることが出来るチャンスが巡って来たということではないでしょうか?

きっと、人はどんな話をするのか、ワードを使うのかでマインドセットが分かるんですよね。人の振り見て我が振り直せ。本も読まないとね。いい言葉のnoteもね。

オススメnoteあれば教えて下さい!
では。



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