【開催レポート】第26回市民ゼロポイントブックトーク
第26回市民ゼロポイントブックトーク
開催日:2024年6月30日(日) 於:松本市中央公民館
紹介した本:福沢諭吉 齋藤孝=訳『現代語訳 学問のすすめ』(ちくま新書、2009年)
紹介者:福岡(企画運営委員)
参加者:12人(企画運営委員含む)
企画概要については告知ページをご覧ください
開催レポート
発表要旨
「『学問のすゝめ』が書かれた明治5年は、学制が発布され、全国統一的で身分の差のない教育制度がスタートした年だった。学制は、福沢が紹介した欧米の学校制度を取り入れたもので、彼の教育観が色濃く反映されている」
「しかし、学制は失敗した。同時期に徴兵制や地租改正が施行され、反対一揆が頻発した。明治12年、学制は廃止され、明治14年の政変で福沢は明治政府との関係を断った」
「『学問のすゝめ』八編で福沢は、封建時代の女性は『女大学』の『女は、幼い時は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え』という教えに縛られてきた。今後は、女性もまた学問を修め自立すべきだと説くが、その具体策は書いていない。それが書かれたのは明治17年の『日本婦人論』で、福沢は女性に財産権を与え、家庭の運営に責任を持たせなければならないと説いた。だが、当時編纂中だった民法(明治民法、明治31年施行)では、女性は準禁治産者扱いされ、財産権は事実上否定された。福沢はこれに対し、『女大学評論』(明治32年)で、かつての『女大学』的封建社会よりはマシという評価をしている」
「福沢の説く“女性の自立”は、あくまでも家庭の一員(良妻賢母)として責任を果たす事だった。女性の“家”からの“解放”という発想は、福沢の死後10年目、明治44(1911)年の『青鞜』創刊と、『人形の家』の初上演以後であった」
「アメリカ独立戦争やフランス革命においても、『女性が置き去りにされている』は、革命に参加した女性(フランスのオランプ・ド・グージュ、アメリカのメアリー・ウルストンクラフトらによって出された。明治維新において自立の必要を唱えた福沢も、歴史的制約から自由ではなかった」
質問「『学問のすゝめ』で批判されている『女大学』とは?」
回答「江戸時代の中期に流行した女性向け啓発書。『女は三界に家なし』で有名。ただし、江戸時代は統一された教育機関はなかったので、ベストセラーになったのは確かだが、どこまでその思想が実際に普及したかは不明。福沢が説いたほど、庶民に浸透していたとは思えない」
質問「イエ制度は明治以前にもあったのか」
回答「武家社会や農村では似たようなイエ的なものがあったと思うが、大都市の町人は別だったのではないか。イエ制度を支えるのは財産権(相続権)だが、相続させる資産のない人々にとっては無縁だったかもしれない。少なくとも天皇を頂点とした家父長制度的なものが完成するのは、明治民法以後だと考えられる」
感想(女性)「現在でもイエ制度的なものは残っている。女性は結婚したら赤ん坊を生めという圧力を感じたりする」
感想(運営委員)「福沢について批判的な発表だったが、女性を人間として捉えた視点は、現在でも通用するのではないか」
回答「福沢を歴史的状況で理解する事と、現代の市民として福沢から学ぶべき事があるというのは、別の事だと思う」
(福岡)