見出し画像

専業主婦になって家庭内で感じる肩身の狭さを分解してみた

こんにちは。シンバです。

今日は、専業主婦になってからの生活の中で、今わたしが家庭内で感じているモヤモヤは一体何だろう・・・ということを1つずつ分解してみようと思います。

現在、結婚して夫と暮らし始めてちょうど1か月を超えたところです。
ちなみに今までに、他の方との同棲はお互いに経験したことがありません。
世の中の主婦の皆さんは、もう数十年一緒に暮らしておられる方も多いかと思うので、なんだまだ1か月か~~と思われるかもしれませんね(笑)

でも、最初のころに感じているこの感覚が、今まで自分が生きてきた価値観を大きく反映しているんだなと思い、自分が日々感じる違和感を大切にしていきたいと思っています。また、自分が生きにくさを感じている原因を、noteを通して言語化して自分の中に落とし込んでいきたいと思っています。


今感じている肩身の狭さを言語化してみる


そもそも、自分が家庭内で何に対して肩身が狭いと思うことを考えてみました。
そもそも、わたしは家事が苦手ではありません。
むしろ家事全般好きで、料理・洗濯・掃除・買い物・ゴミ出し・・どれを抜き出しても特に今まで自分の生活の中で苦に思ったことがないんですよね。

最初のうちは、なぜこんなところにゴミを置くんだとか、なぜ洗濯物をすべて裏返すのだといった、よく聞く女性たちが集まって言うTHE・夫の愚痴!というものを、わたしも最初はひしひしと感じていました。というか今も感じてはいます。

でも自分が感じる心の違和感は、これが直接的な原因ではないんですよね。
では何に対して、自分がモヤモヤした感情を抱くのか・・・

それは、自分の中の勝手な嫌悪感からくるものではないかと思います。

ありがとうの声を素直に聞き入れられない嫌悪感


家事をしたことに対しての報酬や見返りがないという場合、
もしかしたら嫌悪感を抱くのかもしれませんね。

しかし、うちの夫はしっかりありがとう、おいしい!など言葉での表現をするタイプです。

一見、自分の労働が評価され認められているように思いますが、実は自分が嫌悪感を感じているのはこの「ありがとう」という言葉ではないかなと思います。

夫が言うありがとうは、純粋に感謝の気持ちを述べているんだと思います。
ただ、わたしの受け取り方が感謝として入ってきていないことに気づきました。

なぜ、感謝として入ってきていないのか・・・
そもそも「ありがとう」という言葉は自分が提供したものに対して贈られる言葉で、わたし自身が家事に対して何かを提供したという感覚が今までなかったことが一番の原因だと思います。

もちろん、ありがとうと言ってもらえれば嬉しい気持ちもありますが、自分の中で家事を自分の労働として認めたくないという気持ちがあるのだと思います。

仕事で成果を出したときにお客様や上司から言われる「ありがとう」と、夫から家事に対して言われる「ありがとう」。
同じ「ありがとう」で、どちらも自分の行った実績に対しての言葉かけですが、どうしても自分の中でこれを上手く同じ言葉として飲み込むことができないんですよね。

いつか、自分の労働=家事になってしまうのが怖いのかもしれません。
また、自分の価値観が、社会での仕事>家事と思っているのだなという感覚もはっきりとしました。


養われている存在ということに対する嫌悪感


これは、多くの専業主婦の方が感じているかと思います。
やはり、自由に使えるお金がないのはかなり不自由です。

そもそも、そこまでお金を使う方ではないですが、
会社員時代の当たり前に給料が毎月決まった日に振り込まれる日々を過ごしていると、ただ減っていくだけの銀行通帳を見ているのは心が苦しくなります。

とはいえ、夫の稼ぎがあるので生活は十分にしていけるのですが、どうしても養ってもらうというのが自分の中でうまく消化しきれていません。

現在、家計のやりくりはすべてわたしに任されており、夫の給与はわたしに管理してほしいと言われています。
ありがたい話ではありますが、これが一番自分の中でキツイなと感じます。

世の中お金ではないと言っても、やっぱり何をするにもお金がかかります。
贅沢はしなくとも、それなりの生活をするにはそれなりのお金がかかります。
人のお金を使うのにこんなにストレスがかかるのかというのが、身に染みて分かりました。また、わたしは自立心が強いため、人に養われている環境がこんなにも人生を生きづらくするのかとも感じています。


主張すべきことが言えなくなっていく嫌悪感


これはわたしのプライドの高さも相まってかもしれません。
専業主婦になって1か月。
どうしてもまだ、社会的地位の優劣が頭をよぎります。
何度も言いますが専業主婦の方を批判しているわけではなく、自分の中にある価値観をそのまま伝えています。

人間に優劣はないと分かっていても、ずっと資本主義の中で生きてきたわたしは、社会貢献しているものが偉いという頭からまだ離れることができません。
自分が何も生産していない現実に対して悲観的になることが多々あります。

そうすると、立場的に自分が下にいるような気になるんですよね。
この立場というのは社会的立場という意味です。

そうすると相手へ主張すべきことがどんどん言えなくなってきます。

決して相手に制圧されているような状態ではなく、勝手に自分が思っているだけというのがポイントです。
ここに自分の価値観が大きく出ますよね。

いかに自分が社会で生産性を上げることに価値を置いていたかが、今の生活を通してよく分かりました。


言語化してみて、自分が違和感を感じたことから、今まで培ってきた経験が自分の価値観を作っていることが分かりました。
会社を退職して、社会から離れたことでそうでない生き方を知ることができたのは良い経験になると思います。


肩身の狭い思いをするのは誰にでもあるとは思います。
肩身の狭さは1人では感じることができません。
夫婦間であったり、会社という組織の中、どこかのコミュニティーの中でも生じると思います。

それは、そこでの自分のポジションと周りとの関係がとても影響していると思います。

わたしは今回夫との間での肩身の狭さを分解したことによって、
自分は自立していたい、家事を仕事にはしたくない、金銭的自由が欲しい(養われる人生は嫌)という考えを持っていることがはっきりと分かりました。

この感覚を大切にしながら、今後の人生を豊かにするために歩み方を決めていきたいと思います。


最後までお読みいただきありがとうございました。

シンバ🦁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?