それは半分正しくて、ほとんど間違っている


それは半分正しくて それはほとんど間違っている

という言葉は、Analogue Fishの『Sophisticated Love』という曲の歌詞にある言葉なんだけど、この曲に、この言葉に出会ったときに、なんだか、「あああああ!」という感動を覚えた。

「それは半分は正しくて、半分は間違っているね」って言う言葉はよくあるし、そういう会話をするシチュエーションもある。だけど、なんだか、それでは自分の思いがこめられてないなあ、と思っていたところ、この「半分正しくて、ほとんど間違っている」という言葉に出会い、まさに今の”キモチ”にジャストな感じを持ったのだ。

最近「半分正しくて、ほとんど間違っている」って思うことが多い気がする。そのキモチを紐解くと、ある人の発言に対して、理屈ではそうなんだけど、自分の美意識が受け付けない。だから、正しいんだけど、僕は君の意見に共感できない、というキモチ。

ネットの炎上ごととか、人間関係の相性の悪さとか、その類いもこの「半分正しくて、ほとんど間違っている」というキモチが膨張して発生しているような気もする。

理屈とか正論とか、そういうことじゃなくて、目の前の相手に寄り添ったり、バイブスをあわせに行くような配慮に欠けていることに対する拒否反応や反発のキモチを「ほとんど間違っている」という言葉にこめる。

その視点で見ると、「半分正しくて、半分は間違っている」というのは、同じ土俵や論点で語り合って白黒決着するという前提がある気がしていて、それができない世の中になっているからこそこの言葉に違和感があるのだなとも思う。

以前、夏木マリさんと話していたときに「人間は感覚的な生き物で、そこは今も昔も変わらない」とおっしゃっていたのだけど、まさに、ひとつのシステムやセオリーで世界が整わない時代に、ひとつの論理で物事を押しつけようとすることの限界があって、だからこそ今どきの人間は本能的に「好きか、嫌いか」で反応するようになっている。

そして、そういう感覚的な反応を大事にする(共感する)世の中になっているからこそ「半分正しくて、ほとんど間違っている」という言葉がなんだか今の時代に合っている。

そして、そういうキモチが尊重されてしかるべきなんじゃないかなあと、と思う。

そころで、Analogue Fishは10年来好きなバンドで、下岡晃氏の紡ぎ出す詩の世界は独特のメロディと相まってここちよい異物感を与えてくれる名曲がたくさんある。もっと売れてしかるべきなのになあ。

こちらが、今回の気づきをくれた曲。PVもおしゃれ。




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