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ボランティアってなんだ?~考えさせられた20歳の私~

夏が始まった。今回は私が20歳(大学3年)の時にフィリピンの孤児院にボランティアをしに行った話を書こうと思います。将来は子供に関わる仕事をしたかったので、単純な気持ちで申し込みをしました。この頃はボランティアについて何にも考えていませんでした。

貧しく見えなかった孤児院

フィリピンの孤児院についた。ここでは10個のハウスがあり、それぞれ5,6人の子供とお世話をする大人1人が暮らしている。

孤児院だから暗い雰囲気のかと思いきやそんなことは全然なかった。
ここは中庭でたくさんの子供達が遊んでいた。

到着した日はゲーム大会的なものがあった。そこで「エッグキャッチ」が始まった。最初は近くで卵を投げあい、お互いの距離を離していくゲームだ。

みんながみんなうまくキャッチできるわけではなく、当然地面に卵が落ちたり、洋服にべちゃっとなってしまった子もいた。

日本人の私は「卵、もったいないな…」と思った。食べられる食べ物を遊びに使うなんて、貧しくないの??と思った。

祖父母と同居していた私は食べ物を粗末にすることは許されなかった。おばあちゃんがここにいたら怒っただろうなあ…。

子供を犯罪者にしないで???


孤児院に4、5泊位した。孤児院内でお金を使うことはないので泊まる前にお金はガイドさんに預けることになっていた。

その時にガイドさんは「お金を孤児院にもっていかないでください。子供達を犯罪者にしないでください」と話していた。

私は意味が分からず、とりあえず1000円ほど手元に残し、後のお金はガイドさんに預けることにした。

孤児院では洗濯や料理の手伝い、子供の遊び相手などが仕事だ。孤児院には洗濯機がなかったので午前中はいつも大人数分の洗濯をしていた。

この時に私が座っていた椅子は安いプラスチックの椅子だったが、足が欠けており座るのにバランス感覚が必要だった。こんな壊れた椅子でもここに住んでいる人は大切に使っている…やはり貧しいのかな?と思った。

外出中にショッキングな出来事が起きた


何日か経つと買い出しの日があり仲間と近くのショッピングセンターへ出かけた。私はキャリーバッグに1000円入れたまま孤児院を出発した。※キャリーバッグには鍵をかけていなかった。

孤児院に帰り、部屋に入ると私のキャリーバックはチャックが開いていた。「おかしいな」と思って中を確認すると、お金がなくなっていた。きっと私が外出しているときに誰かが盗んだのだろう。

そこから私の感情は不安定になってしまった。困っている人の役にたちたいと思っていたけれど、受け入れる方は私達を«お金»だと思っているのか、と考えがどんどんダークになっていった。子供と遊ぶときも純粋に楽しむことができなくなってしまった。

最終日になると、さよならパーティー的な事を開いてくれた。外で御馳走を食べて、子ども達が歌や踊りを披露してくれる。私達も日本の歌や踊りをひろうした。

写真は私とハウスマザー
私は心の中で「このパーティーもめんどくさいと思いながらお金のために開いてくれているのかな」と思わずにはいられなかった。

最終日は孤児院の子へのプレゼントを皆購入していた。私はあまり気が進まず、お菓子やシャボン玉など形に残らないものを購入し、子供達へ渡した。

仲間の1人は「家のお皿が欠けていたから新しいお皿を買ってあげたの」と話していたが、私はあまり共感できなかった。

壊れたものを買うのであれば、私は真っ先に洗濯時に使う椅子を買うべきだ。
しかし、壊れた椅子でも工夫して使っている孤児院の人達を見ると、本当に新しい椅子を買うべきなのか?と考えさせられる。

彼らが本当に望んでいることは何だろう???

孤児院には衣食住やネット環境が整っていた。子供たちは学校に通っていたし、表面的には貧しく見えなかった。

しかし、外国から来たボランティアのバッグの中身を漁りお金を抜き取ることは裕福な家庭の子人はやらないだろう。そう思うと、あの子たちの心は貧しいのかもしれない。

当時20歳だった私には考えさせられる体験でした。
ちなみに子どもたちとはfacebookで友達で、今でもたまにメッセージの交換をしています。10年以上たっても交友関係を続けられるのはうれしいですね。

あの時の孤児達も今では社会人。赤ちゃんを産んでママになっている子もいます。あの子たちの心の穴はふさがったのかなぁ。

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