「限りなく透明に近い自由」の先に見えた”なないろの世界”
『2022 春 環境系学生未来塾 in屋久島』の記録と記憶
2022年3月1日から3月5日の5日間に渡り、『2022 春 環境系学生未来塾 in屋久島(屋久島での開催としては10回目)』が開催された。僕は、撮影と取材というミッションを抱え、この5日間のイベントに学生たちと焚人(たきびと)たち(未来塾ではスタッフと呼ばず、焚人と呼ぶ)とともに過ごした。
そんな5日間の記録と記憶をここでは綴っていきたいと思う。
そもそも「環境系学生未来塾」って?
そもそも「環境系学生未来塾」って?と
思われてる方もいると思うので、簡単にご紹介をすると…
簡単にと言いつつ、簡単じゃなかったですかね…。で、どんなことするの?と思われた方は、この場をはじめたやっくんの想いが綴られたnoteをぜひご覧ください。
今、屋久島の未来へ向けた取り組みを紹介したい
そして、なぜ僕が、記念すべき屋久島での第10回の「未来塾」へ行くことになったのか?そのことにも少し触れておきたい。
それは、2022年2月初旬。
屋久島の「次の30年」を共に考え 共に動いていく 対話型共創コミュニティ「イマジン屋久島」の仲間と「イマジン屋久島」のことをもっと多くの人に知ってもらうためにできることを考えていた時だった。
「今、屋久島の未来へ向けた取り組みを紹介していきたいね。」という話になり、何を取り上げようかと話し合うことになった。しかし、屋久島の個性が強すぎるメンバー同士の意見はひとつにまとまることはなく(笑)、たどり着いた結論はこうだった。”自分のインスピレーションに沿って、それぞれが紹介したい人・コトを自分のやり方で紹介していこう”というものだった。
まず僕の頭に最初に浮かんだのは、この「イマジン屋久島」の起点となった福元豪士こと”やっくん”だった。彼のことをまず取り上げないわけにはいかない。彼がどんな人物なのか、日々の活動で何を大切にしているのか?まずはそれを知ることから、「イマジン屋久島」というコミュニティのあり方に迫ることができるんじゃないか?
そんな問いを立て、取材対象をやっくんに定めた。
しかし、やっくんは屋久島で学校や地域の人々、島外の学生たちへ向けた環境教育に取り組みながら、NPOの運営から自然体験指導者の養成などとにかく色々なことに取り組んでいて、果たして彼の何を取り上げたらいいのか…(悩)?
しかし、彼の取り組みに思いを巡らせてみると、意外にも取り上げたいものがすっと浮かんだ。それが「環境系学生未来塾」(以後、未来塾)だった。
「未来塾」と僕との関わりは、2019年3月に遡る。やっくんからの誘いで、屋久島のネイチャーガイドとして活動していた僕は、”実際に地域の中で、自然や土に触れながら働く大人たち”の一人として、自分の人生や仕事について学生たちに話をしたのが最初だった。そして、翌年の2020年の3月。僕が運営する「ゲストハウス トッピーの森(現「あごだしとキャンプの宿 トッピーの森」)」を急遽、「未来塾」の場として提供させてもらった。
そんなご縁を頂いていたものの、学生たちや焚人たちといずれも5日間のうちのほんのわずかな時間しか共有していなかったので、正直、「未来塾」という場が、どんな場なのか?僕には分からぬままだった。
ただ、以前からやっくんが続けてきた「未来塾」にはずっと関心があった。一体「未来塾」という場で何が起こっているのか?やっくんたちは何を提供して、学生たちは何を受け取っているのか?はたまたその逆もあるかもしれない?そして、それをいつか自分の目でしっかりと見てみたい。そんな思いに駆られていたのも事実だ。
だから、この場に足を運んだのは、別に誰かに頼まれたわけでもなく、ただただ自分の好奇心に駆られてだった。おそらく、こういう機会を得られるのは、今しかない気がする…そんな直感が僕を自然と突き動かしていた。
「未来塾」開催が2週間後に迫る中、やっくんと撮影の打ち合わせをした時のことだった。※ささっちょとは僕のこと。
やっくん「ささっちょ、撮影と取材は、3月1日から5日のどのタイミングで入りますか?」
僕「え!?そんなちょっとだけ撮影に行って、未来塾が分かるの?」
やっくん「いや、分からないですね。」
僕「でしょ!」
やっくん「え、じゃあ、5日間来ますか?」
僕「やっぱり、邪魔かな?カメラ回っていたら気になる?」
やっくん「まあ、事前に話をしておいたら大丈夫じゃないですか。」
僕「じゃあ、5日間同行しようかな。」
やっくん「わかりました。5日間ずっと一緒にいたら、最後にささっちょも学生たちと一緒に泣いちゃうかもしれないですね。」
僕「…笑」
撮影と取材というくらいなので、事前準備は入念に…と思ったが、「未来塾」の場は、おおよそのタイムスケジュールなどは決まっているが、あとはその場次第!とやっくんにきっぱりと言われたので、カメラのバッテリーの充電だけは忘れまいと心して、あとは、目の前で起きる何かをありのままに見つめよう・撮ろうと腹を決め、イベント当日の朝を迎えた。
「未来塾」をただ観察するだけなんてできなかった
2022年3月1日は、雨。それも時折強く降る雨だった。雨の多い島としては、初日は屋久島らしいはじまりだった。強く降りしきる雨の中、焚人(=未来塾スタッフ)の車に載せてもらい、フェリーで到着する学生たちを迎えに(撮りに)行った。
すると、参加者たちの到着を知らせるかのように、雨は止み、港へフェリーが到着した。いよいよ「未来塾」がはじまろうとしていた。
このお迎えの時間までは、「未来塾」を外から、客観的に見ようとしていたし、見えていたと思う。しかし、会場についてから僕の存在は、場に飲み込まれ、溶け込み、「未来塾」の一部となっていった。
撮影と取材という明確な役割があったにもかかわらず、気づけばこの場の観察者としてとどまることができず、学生たちと自分の人生を分かち合い、モヤモヤも分かち合い、火を焚き、薪をくべ、朝までモヤモヤについて語り合う。いつしかそんな場をともにしていたのだ。
「未来塾」とはどんな場だったのか?
振り返れば、誰かに頼まれてこの場に来ていたら、こうはならなかっただろう。仕事としてこれを撮らなきゃいけないから…と思った瞬間に、学生たちや焚人たちとは対等な関係ではなくなり、その場を外から眺めるだけに人になってしまっていたと思う。たとえ学生たちや焚人たちが輪の中に招いてくれたとしても、どこか後ろめたさを抱かずにはいられなかっただろう。
まずは、5日間をともに過ごした仲間たちにへ伝えたいことがある。
”あたたかい命の燈をともしながら、参加者と対話するようになり、焚人の燈を囲みながら焚火をかこむように参加者が対話をする場(やっくんの言葉を引用)”に撮影者ではなく、ひとりの参加者として加えてもらえたことにまずは感謝をしたいと思う。
この「未来塾」という場に、ひとりの参加者として迎え入れてもらえたからこそ見えた世界が間違いなくあったと思うから。
だからこそ、カメラ越しに見える参加者たちは、存在としての人としてだけではなく、感情をまとった人間としてそこに立ち現れていた。自分の記憶だけでは留めきれない、立ち現れる感情とその変化をどうにかカメラに収めようとシャッターを切り、映像に記録していった。その場の”像”ではなくて、場に現れる"空気感"や"雰囲気"までをも留めたいと思った。
やっくん、あかりん(第2回未来塾の参加者であり、第3回から焚人として場に携わる彼女のnoteはこちら)をはじめ、焚人たちが参加者とともに作り上げようとした「未来塾」はどんな場だったのか?
言葉にするのはとても難しいのだけれども、水の島・屋久島らしく、水のように透明な場。「限りなく透明に近い自由」な場だった。
お互いが自由を主張して争うようなものではなく、お互いの自由をお互いに尊重し合う「自由の相互承認」を成し得ようとしている場だった。
やっくんから振り返りでもらった言葉が印象的だった。
「未来塾は、やっくんとあかりんの場と表現してくれたけど、この場は、みんなで作り上げている場なんです。それだけは伝えておきたくて。」
人と人の"あいだ"が生み出す「なないろ」の世界
あの時の記憶を呼び覚ますと、頭に浮かぶイメージは、透明なんかではなくて、ただただ色鮮やかだったということ。
まるで絵具のすべての色が混じり合ったような、色鮮やかな世界。
”なないろの世界”と呼ぶのがぴったりとくる。
ひとつひとつの絵具を「未来塾」の参加者にたとえるなら、ひとりひとりの参加者が発するのがそれぞれの色だ。それは、人それぞれが持つ個性や素質としての色。今回、この「未来塾」に集まった仲間たちの色も本当にそれぞれに美しかった。そして、この場で、その色たちが混ざり合い、その混ざり合った先で僕が見た色とは、虹のような”なないろ”だった。
混じり合えば、色は重なり、一人では出せない色が現れる。相手を自分の色に染めるわけでもなく、自分が相手の色に染められるわけでもない。対話という接点を通じて、互いの色は混ざり合い、新たな色を発していく。未来塾とはそんな場。互いの色が混じり合うスペースを”あいだ”と呼ぶとするなら、人ではなく、やはり人間と呼びたい。人と人の”あいだ”。この”あいだ”にこそ未知なる可能性があると思うから。
だから、どうか自分の色を自分の中だけにしまわないでほしい。時には誰かから勇気をもらわずにはいられないことがあるかもしれない。時には自分の外の世界に怖さを感じることがあるかもしれない。時には自分が何色なのか分からなくなってしまうことがあるかしれない。
でも、そんな時にこそ、あなたの色を発してほしい。あなたの色だけでも十分に魅力的で、豊かな色を発していると思う。でも、というかだからこそ、あなたの色をあなたにとっての他のあなたへ分かち合ってほしい。そこには、自分だけでは見られないもっと豊かな色が現れると思うから。
そして、その対話をし続けることで、あなたの色はもっともっと彩り豊かな世界="わたし"になっていくと思うから。
どんな色だっていい。
そこにあなたの彩りを豊かにしようとする意志があるなら。
今はそう思う。
「未来塾」の当事者として、この場が必要とされていく限り、見守り続けていきたい。心からそう思える5日間だった。
〈エピローグ〉
4日目の夜のできごと。
僕の中で「未来塾」への"当事者意識"が芽生えたのは…この時だったのかもしれない。旅のしおりには、焚火というタイムスケジュールが記されていたが、室内で自分を深ぼっていくワークをみんなでしていた。
ワークの前にやっくんが「焚火をしたい人?」と参加者へその気持ちを聴いていた。半分くらいが遠慮がちに手を挙げていたと思う。まだワークをしたい気持ちと焚火もしたい気持ちがみんなの中に共存しているように見えた。そして、火が焚かれることはなかった。
夜中1時に迫ろうとしている中、ワークは続いていた。しかし、この時、自分の中に、言葉にはできないモヤモヤとしたものが湧き上がってくるのを感じてしまった。
僕の頭の中ではこんな問答が繰り広げられていた…
「みんな焚火したいんじゃないか?」
「いや待てよ…それは場をコントロールしてることになるんじゃないか?」
「もし火を焚いても誰も来なかったらどうするんだ?」
「一人でも火を見つめていればいいさ」
「ワークの方がきっと今大切なんだよ」
「いや、きっと誰かが焚火を必要としているはずさ」
色んな記憶が頭の中にあふれ出てきていたのかもしれない。
気づくと、ひとり外に出て、キャンプファイヤー場に向かっていた。
真っ暗な中、薪を組み、たまたま落ちていた新聞紙の切れ端にメタルマッチで火をつけて、火が燈された。
みんなに焚火の準備ができたことを伝えると、しばらくして一人また一人と仲間たちが火を囲い始めた。みんな楽しそうに、マシュマロを焼いていた。僕はただただ火の中に、薪をくべつづけた。
僕は、みんなの笑顔を見て、心に温かいものを感じていた。そして、この場にいなかった仲間たちもそれぞれの想いを抱き、それぞれの火にとりかかっていたんだろうなと想いを馳せていた。
そうして火を囲む、静寂の時間は訪れた。
「火を焚きなさい…」
(『火を焚きなさい』山尾三省著より)
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
【環境系学生未来塾 関連リンク】
・環境系学生未来塾ホームページ
「未来塾」の活動や過去の取組みはこちらから。
・Facebookページ 次回の「未来塾」開催日程など最新情報はこちらから。
・Instagramアカウント 「未来塾」の雰囲気を感じたいならこちら。
世界遺産の島で奮闘中!!よろしければ、応援よろしくお願いしますm(_ _)m