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憂い眠れぬ夜と優しく差し込む朝日

普段より遅く起きた朝、瞼が重く気分は少し落ち気味だった。
些細な感情の細波が大きな荒波を引き起こす狭い心の海、これを平穏に保つことがどれほど難しいことかはよく分かっている。

部屋が少し寒く感じたので椅子にかけてあった大きめのフリースを肩にかけ、二の腕を摩りながら階段を降りてリビングへ。

いつもなら明るい音楽をかけて口ずさみながら家事をして、ふにゃふにゃした顔にキリッとメイクを施して、お気に入りの洋服を身に纏って、その日一日がいい日になるように動きひとつひとつに気持ちを込めていく。

なのに今日は音楽を聴く気もしない、洗い場には食器が溜まり、畳まずに放り投げた洗濯物が散乱している。
ふと顔を触るとこんなところに出来物あったっけ?とげんなりとした。

腹立たしいことと思いがけない出来事、悲しくなることが、続々と飛び込み禁止の心の海にどっぷんどっぷんと飛び込んできた。

誰かに寄り添ってもらいたい寂しさと押し寄せる悲しみと夜を共にすることは珍しいことではないが、そうならない様に日ごろから精神衛生上悪影響なものは受け付けないようにしている。
しかし想定外の外的要因が起こるとすぐに大荒れ模様。
答えの出ない拙い言葉の自問自答に次第に景色は滲みぼたぼたと枕を濡らす。

ああ、弱いなぁ。
でもどんよりとかかるモヤを振り払う余裕もない。
気がつけば夜は溶け、朝が広がっていく。

ブラインドを開ける気力もなく、床に三角座りをしてぼんやりと隙間から差し込む朝日を眺めていたが、早く外に出ておいでと言われている気がして両手で顔を覆った。

しかしこの闇落ちとやら、実は長くは続かない。
しばらく意識を遠くに過ごしていると、ふと、なんかお腹空いてきたな...
と意識が目の前に戻ってきて、自分は何をしているんだ?と我にかえる。
空腹を感じる有り難みに、まだまだ自分も大丈夫だな、と再確認する瞬間でもある。

これでもかというほど部屋の隅にへばり付いていた体を起こして立ち上がり、ぺたぺたと裸足で窓際へ向かい、ブラインドをスルスル上げる。

やっと出てきたか。
と待ちわびてたかのように、東向きの大きな窓から真っすぐに光が差し込んだ。

庭に出て両手を上げて背伸びをした。
うん、もう大丈夫。と空を見上げると少し冷たい乾いた風がふんわりと吹いた。

今日はぽかぽか陽気だったんだなと庭を眺めたら我が家の梅の木にいくつも花が咲き、春らしく可愛らしい花にどんよりしたモヤがすこし晴れていく感覚がした。

落ち込むことは沢山あるけれど、細やかでも小さくても何かに気付けるこころの余裕がまだ残っていることに安堵しつつ、また繰り返す日々に優しい気持ちを込めて過ごしていきたい。
さて、しゃきしゃき明るい曲はまだ聴けないけれど、ヘッドホンを耳に体に音流して動きだそうではないか、テンポはアンダンテで。






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