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インスタントなものでも貪欲に欲しくなることがあるのかもしれない

お腹がすいた。
でも時間もないしとりあえず何でもいい。さっと済ましてすぐ満腹になれるから吉野家でいいや。好きだし。
 
ざっくりと2つに分けると、人間の感情は快と不快に分けられる。
空腹は不快だ。
胃に空白があって、足りないものがあって、なんとなくスースーする。
私たちはそんな状態から脱したいから何かを食べようとする。早く脱したい。とりあえず何でもいい。インスタントでも何でも。
そしてそれを食べることができれば、空白はなくなり足りないものがなくなり、スースーしなくなる。
 
心も同じだ。
どことなく空白があって、何か足りなくて、心がスースーするときがある。
私たちはそんな状態から脱したくて、温もりだったり愛だったりを手に入れようとする。早く脱したい。飢餓状態になったらとりあえず何でもいいからと、インスタントなものでも貪欲に欲しくなることがあるのかもしれない。
優しそうな言葉がけや、いいね、そしてとりあえずその場しのぎになる適当なそこらへんの人との場繋ぎの対人関係。
吸えないタバコ吸ってみたり、心から好きとは思えない音楽聴いてみたり、声大きくなってみたり、ダボダボの服着てみたり、実際とはかけ離れすぎた「わたしってこんな人間なんですよー」って言ってみたり。
自分探しってとても大切な過程で、そんな中でこういうことってよくある話だけれど、無理しすぎたらしんどくて、無理しすぎたら病気になるかも。

無理しすぎるってどういうことかっていうと、インスタントで済まそうとしすぎることだ。
心がスースーする寂しさに耐えられなくて、その場しのぎで場繋ぎの時間の過ごし方に突っ走ってしまわないようにしよう。
どことなく空白があって、何か足りなくて、心がスースーするとき。ただ耳を傾けて、ただただその感情にひたり、まんま受け入れるというのも、それほど悪くもない時間だ。
 
それはそうと、
牛丼がおいしい。

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