見出し画像

ヲタクに憧れている人生

ヲタクという言葉の意味は、最近になって明るくなってきた(気がする)。

確か大学生の頃、陽キャとも呼べる女友達が声高々に「私ヲタクなんで」、と言っていたのを鮮明に覚えている。

ああ、こんな子でも「ヲタク」を自称するんだ。

それから意識してしまったせいか、自己紹介や飲みの席だと男女ともに「自分はヲタクだ」とあっさり公言することに気が付いた。

まあ、大半はアイドルヲタクだったり、メジャーなアニメ・漫画が好きな人たちで、共感されやすいものが好きだから公言しやすいという一面は確かにある。

熱狂していてたり、マイナーなものが好きな人になると、「実は……」みたいなやり取りで聞くことが多い。大抵そういう方々は自分をヲタクと言わず、相手を無視する勢いで好きを語る。


しかし、ヲタクというある意味差別的に使われることも多かった言葉は、現在においてポップな意味をもち始めている事実は変わらない。コミケに行ったり、熱い語りをしなくとも、「普通の人よりハマっている」くらいの感覚で、このヲタクという言葉が使われる場合もある。


ヲタクという言葉が好まれた要因として、最近の若者が「好きなものがある人って何かええよな」、と個々の好きを認めやすくなった時代的背景があるのかもしれない。

好きなものがある人=ヲタク、というイメージはそのままで、好きなものがある人の印象がUPした結果、それに連れてヲタクという言葉の印象も引き上げられたのだろう。

そして今後もこの傾向は続くはずだ。

事実、今の10代の子たちは僕たちなんかよりSNSやyoutubeに精通している。自分の好きで生計を立てられるyoutuberはなりたい職業ランキングの上位に出ている。

これからは、「好き」が強い人が人気になる。感性豊かな若い子たちは「人を魅了するタイプの好き」をより求めるのだろう。

なんだか、羨ましい限りである。

恥ずかしい話、私個人はヲタク然り「人を魅了するタイプの好き」がある人に恋焦がれている。

自分自身が広く浅く手を付けるタイプなので、何かにハマっている人を見るとなんだか羨ましくなるのだ。

庭園鉄道、小型飛行機を自作するほどモノづくりにハマっている森博嗣。BL、少年漫画、少女漫画を貪るように消費する三浦しをん。アニメ・特撮が好きすぎて結婚後にもアニメ一気見オールをしている庵野監督(監督不行より)。


私は「人を魅了するタイプの好き」に未だ憧れている。そしてこれからもヲタクと呼ばれる方々を崇拝するのだろう。

私自身、誰かを魅了するほどの好きは無いので、彼ら彼女らが少しでも生きやすいよう仕事面で貢献したいと考えているのだが、それはいつになるのやら……といった所です。


好きなものがあるだけで、幸せというものだ。

好きなものがあるから、自分の人生に太い一本の軸ができる。

趣味や好きなものは、ときにバカにできないほどの威力を人生にもたらす。

いつか、より多くの人が好きなことを「続けてよかった」と思える日が来る。期待はしていないけど、そんな日が来るのを楽しみにしている自分がいるのであった。


おしまい。


追記:

寒い以外の感情がありません。

最後まで読んで頂きありがとうございます!文章を読んで少しでもほっこりしてくれたら嬉しい限りです。