翻訳者を目指す理由
縞尾ワヲです。上の写真は以前撮影した京都市動物園のワオキツネザル。
さて、note開設の目的の1つに「映像翻訳者を目指しての勉強の日記代わり」というのを設定しましたが、縞尾がなぜ翻訳という道に進もうとしているか、自分用の振り返りも兼ねて書いておくことにしました。
翻訳者を目指す理由、それは「生きづらさと折り合いをつけて生きていく」ためです。私、縞尾ワヲは、人生の半分以上を複数の生きづらさと共に生きてきました。例えば、発達がアンバランスなことによる困り感、長期の人間関係トラブルによるトラウマ、それに起因する発声障害、ジェンダーの問題、などです。自ら挙げておいて言うのも微妙ですが、「多くね?」と思っています。嫌な思い出もいっぱいありますし、フラッシュバックに苦しむことが多いです。こんなんなので、自己肯定感も高くなく「生きててごめんなさい」と思うことがしばしばあります。
それでもどうにか私が周囲から評価されてきたものがありました。それが「英語」です。勉強を始めたのは、小学生の頃に近所の英語教室になんとなく通いだしたのが切っ掛けではありました。しかし、中学、高校と勉強を続けているうちに、英語を使うときに周囲に驚かれることが多くなりました。そこで初めて、一般的に褒められる程度には英語ができるようになっていたことに気づきました。おそらく、フラッシュバックを起こすような記憶力の高さがこちらでは上手く働いたのでしょう。
それからというもの、私は英語系の学部に進学し、英検準一級やTOEIC800点を取れるほどは自分の英語を磨きました。それまでに出会った、たくさんの海外のアニメや映画、素晴らしいアーティストやバンドの曲も、勉強しようというモチベーションに繋がったと思います。言葉が分かると楽しいなと思ったわけです。これだけ英語ができるなら人生は好転すると思われる人もいるでしょう。しかし、現実は全くそんなものではありませんでした。
英語ができても、前述の複数の生きづらさが絡み合い、私は就活のシステムに苦しみ、大学卒業後も思うようなところに就職することができませんでした。そして終いに適応障害になり退職、今はフリーターをしながら勉強中、という身です。
過剰適応ぎみになりながらコミュニケーションを試み、毎日馬車馬の如く職場を走り回り、決して早くはない時間に帰る生活は私には合いませんでした。決して非常にブラックな職場ではなかったにも関わらず、こういうことになってしまった自分のことが腹立たしいです。自分は世間一般の普通レベルにも働けないんだなとひどく落ち込みました。しかし、生きていけない環境に無理にしがみつく生き方はどうなのか? と考えた末、取った選択肢が翻訳者という道でした。
私は生きづらさと上手く折り合いをつけて生きていく方がよっぽどいいです。フリーランスの翻訳者ならば、まずは仕事の能力で採用が決まるため、面接で人柄やら臨機応変な対応やらを評価されずに済む。つっかえながら無理に話す必要もない。体調不良になろうと就業時間に悩まされることも少ない。コミュニティに置かれることで発生するジェンダーの問題に悩まされる確率も低くなる。というのが自分の考えたメリットです。
ただし、よく言われるように翻訳者は狭き門であること、メールでのビジネスマナーや仕事の確実な遂行能力も求められることは確かです。たとえ仕事が来たとして、それで満足に稼げるとも限りません。それでも、長い人生で付き合っていく仕事ならば、合っていると自分で思えるものがいい。そのために、真摯に勉強していこうと思っています。