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ゆっくり、時間をかけてつくられる喫茶店──4年間の開店準備と島暮らし

島根県隠岐郡知夫村出身の川本息生さんと、山口県出身の理子さん。夫婦で東京から知夫村に移住し、現在4年目を迎える。二人が目指すのは、喫茶店の開業。島での暮らしを楽しみながら、自宅の牛舎をDIYで改修し、少しずつ歩みを進めている。
(聞き手:大田勇気、文:舟山宏輝)

川本 息生(かわもと・いぶき)
島根県隠岐郡知夫村出身。大学入学をきっかけに上京し、卒業後に知夫村で就職しUターン。日々仕事をしつつ、牛を育てて魚を釣る、喫茶店開業の準備を進めるという“三足の草鞋”で暮らしている。

川本 理子(かわもと・さとこ)
山口県山口市出身。東京の大学に進学し、息生さんとの出会いをきっかけに知夫村に移住。喫茶店づくりを進めながら、家具作家を目指している。

人間より動物の多い島で

島根県隠岐郡知夫村は、隠岐諸島の最南端に位置する知夫里島と、その周辺の無人島から構成される。人口は約600人で、隠岐諸島のなかでももっとも少ない地域だが、近年は移住者が増えて人口増に転じ、ニュースで取り上げられることも多い。

「人口は少ないですねえ、ご高齢の方も多いですし。タヌキは人間の何倍もいるんですけどね(笑)。でも、最近は「地域のために」という思いで頑張る人が増えたように感じます。牛飼いの方や漁師の方、教育関係の方など、いろんな分野に活動的な人がいます。」

そう話すのは、知夫村出身の川本息生さん。息生さんは高校卒業までは島で暮らし、大学進学のタイミングで東京に出た。

「大学卒業後は本土で就職する選択肢もありました。しかし、一度東京で働くとしても、将来は知夫村に帰るつもりでした。実家の牛を飼う暮らしに憧れがあったし、自分の生活スタイルにも合っているからです。そういうわけで、結婚してから妻と一緒に知夫村に戻ってきました。帰ってからもう4年目になります。」

気軽に移住し、暮らしを楽しむ

川本理子さんは、山口県生まれ。東京で息生さんと出会い、知夫村に移住してきた。

「島の方から「よく来たね、どうやって決心したの」と聞かれることが多々あります。でも、深い考えはありません。夫と出会ったとき、「将来は知夫村に住むんだろう」となんとなく予感していたくらいです。言ってみれば、“ノリ”ですよね。なにか覚悟してたら、きっと来られないですよ。

ゆるいノリで知夫里島にやってきた理子さんの暮らしは、どのようなものか。

「商店もたくさんあるし、想像以上に快適です。良くも悪くも、本土にいた頃とあんまり変わらない部分が大きいかもしれません。でも、いままでより四季の変化を感じます。季節の野菜を味わうことが生活の楽しみになりました。長い冬が明け、春に菜の花の咲く姿を見ると幸せです。
「牧場物語」っていう、自然にあふれる牧場で暮らすゲームが好きなんですよ。知夫里島に来てから、その主人公になった気分です(笑)。魚を釣ったり牛の面倒をみたり、小さい畑を始めたり。散歩していたら、道に座って黄昏れている方がちらほら見えたり。ゲームの世界みたいで、楽しいです。

息生さんも口をそろえる。

「たしかに東京は便利で、娯楽もたくさんあります。人も多くて、賑やかですよね。そういう生活もいいですが、人がつくったものではなく、海や山と接しながら自分で暮らしをつくるのも本当に楽しい。この島では、そこが東京とは違うと思います。
現在は週5日就職したところで働きつつ、牛の面倒をみたり、魚を釣って食料調達したり、あとは牛舎を改修するDIYもやって。三足の草鞋を履くようなライフスタイルで暮らしています。」

牛舎を改修し、喫茶店をひらく

いま二人の目標は、実家の牛舎を改修し、喫茶店をひらくことだ。喫茶店は、息生さんにとって小さいころから憧れる対象だった。

「小学生のときから好きだったんです。島には喫茶店がほとんどないので、本土へ行ったときに毎回連れて行ってもらっていました。東京で妻に喫茶店巡りを教わってからは、いろんな店を知るようにもなりました。それから、誕生日にコーヒーミルをプレゼントされまして。それから自分でコーヒーを淹れるようになって、いつかは店をやりたいなと。」

一方の理子さんには、自営業の仕事をしてみたいという思いがあった。

「大学四年生のときに、しまコトアカデミーというプログラムを受講しました。これは自分と島根の関係づくりをするプログラムです。プログラムでは自分のやりたいことをいろいろ出していきつつ、それにくわえて、実現可能性も踏まえつつ、やりたいことをどのように叶えるかまでを考えました。そのなかで、自分の好きな空間に浸れる喫茶店をひらきたいと思うようになったんです。」

ゆっくり、時間をかけて取り組む

それでも、開店準備はスムーズには進まない。家の塀を壊し、木を倒すところから始まった牛舎の改修は、想像以上に時間がかかるものだった。その過程を、息生さんは笑顔で話す。

とにかく牛舎の片付けが大変で、内装にとりかかるまで1年かかってしまいました。店内についても、目指すコンセプトにとことんこだわってDIYをしていたら、あっという間に時間が過ぎました。でも、こだわりたい部分にこだわるって、本当に楽しいんですよね。水道や電気、階段といった専門的な部分は詳しい人にお願いしたのですが、それも地元の方々です。思いを共有できる人と一緒にできて、ますます楽しくなりました。

時間はかかりましたが、おかげで納得感のある出来上がりになったし、得るものもたくさんありました。ずっとつくっているので、通りがかる人から「なにをつくっとるん」と聞かれるんですよ。いつも「来年には喫茶店ができますよ!」と返していたのですが、それからもう4年です(笑)。4年間いろいろな人から気にかけてもらって、見守られて、この場所はできていったんです。

お店とともに成長する

最後に、理子さんはこの場所にかける思いを力強く語ってくれた。

島にサードプレイスがあるといいと思うんです。家でも職場でもない、自分の悩みやストレスを発散できる、新しい場所です。雰囲気のいい空間があって、そこに浸ってひとりでぼーっとしたり、本を読んだりできたら、島の暮らしはもっとよくなると思います。
それから、個人的なことなんですけど。じつは私、ほかにもいろいろやりたいことがあるんです。もともと家具作家になりたくて、家具のお店をもつという夢がありました。でも家具のお店や工房は、私にとっても、島に暮らす方にとっても、ちょっとハードルが高いんじゃないかと思って。まずはこの喫茶店を、島のみなさんが足を運びやすい場所に育てていって、その過程で私自身もお店をもつことに慣れていきたいと思っています。

──時間がかかっても、自分たちの「好き」と「やりたい」が少しずつ実現していく。その過程を楽しみながら、自分たち自身も成長していく。そんなふたりの姿が印象的だった。川本夫妻の準備する喫茶店は、今日も知夫村のコミュニティに見守られながら、誰かにとっての新しい居場所となるべく、その扉が開かれる日を待っている。

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