夢野久作「瓶詰地獄」考察②

 夢野久作「瓶詰地獄」の考察を綴ってます。
 今回は、各手紙を組み合わせつつ、いろいろ考えます。
 ネタバレあります。
 よければ青空文庫あたりで、まず、お読みください。短い小説です。


■3つの瓶詰手紙が見つかった場所

 3つの樹脂封蝋の麦酒瓶は、3つとも封蝋が為されたまま、同時に回収されています。
 1つは砂に埋まっており、1つは岩の間に挟まっており、1つはどういう見つかり方をしたか不明です。
 で、私ここで、ちょっと大胆な仮説を立てます。それは。

「二人が流れ着いた島と、3つの樹脂封蝋の瓶が見つかった島は、同じ島である」

 です。
 何故こう思ったか、頑張って説明します。

 そもそも、同じ場所から同じように海中にボトルメールを投げ込んだからといって、それがすべて同じ場所に流れ着くとは限りません。
 ボトルの流れ方には、潮流だけじゃなく、風の向きや強さも密接に関わってきます。また、浸水したり破損したりすることもあるかと思います。
 実際、潮流研究で大量のボトルメールを海中に放出しても、発見されるのは半数程度、その場所も世界各地バラバラ、という話を、聞いたことがあります。
 3本数年レベルの間隔をあけて流したのに、3本ともが、遠く離れた1つの島の、ほど近い場所に、ほぼ同時に流れ着く、なんてことは、奇跡に近い。あり得ないと言っていいレベル。

 そういうわけで、2つ目の手紙。
 あれ、文面には「海に流す」と書いてありましたけど、結局は海に流さなかったんじゃないかと思ったんですよね。
 二人が寝起きしている小屋は岩の上に造られていたでしょう。
 瓶の中に封じたままその小屋の燃えた跡か、倉庫に置きっぱなしになっていて、そのまま岩に挟まる形になった。その状態で見つかった。
 2つめの手紙はこういう見つかり方をしたんじゃないのかなと。

 また、2つ目の手紙に「最初に書いた手紙を海に流した」という記載があるんですが、「島を『環る』潮の流れに乗って」とあるので、案外、島の反対側とまでは行かなくても、同じ島のちょっと見えにくいどこかに、すぐに流れついた可能性は充分あると思います。

 ならば、1つ目の手紙も、結局は海に投げ込まれず、砂浜のどこかに、何かの事情で埋まったか埋められたかしたんじゃないかと、そんなふうに思ったんです。
 本当にフカの泳ぐ海に封蝋瓶を抱いて飛び込んでフカに食べられたのなら、多分瓶も一緒に食べられちゃうだろうと思うんですよ。実際、ボトルメールを大型の魚が食べてしまう事例は多々あります。そうなったら、多分そう簡単には発見されなくなるでしょう。3本ほぼ同時に発見されることは不可能になると思うんです。

 そういうわけで、3つの手紙は、みんなこの島内で見つかったんじゃないかと、私は考えています。
 そうなると、この島、「日本国内にある有人島」ということになってしまうんですけどね。村があるんだから。

 一見、果物や草花や鳥の描写から、舞台は南の異国の島かなと想像させられるんですが。
 ここ、もしかしたら、沖縄の離島だったんじゃないかな。
 パイナップル。ヤシ。バナナ。ハイビスカスなどの赤い花。
 これらは全部沖縄にもあります。
 ウミガメもうろちょろしてます。
 鸚鵡や極楽鳥はパプアニューギニアとかオセアニア辺りにしかいないんですけど、極楽鳥花なら咲いてるので、見間違えたとかじゃないのかな…。
 流石に無理あるかなあ。

 沖縄本島にはたくさん人が住んでますけど、離島になると、それこそ「島には家が10軒くらいしかない」みたいな島もあってもおかしくない。
 そういう島の場合、集落はだいたい一箇所に固まりますから、反対側の岸に流れ着いちゃったら、島の広さによっては「無人島かも」と勘違いすることはあり得ると思うし、島民は島民で、まさか外から人が漂流して遠くに棲み着いてるなんて思いもしないせいで、二人に気づくのが遅れに遅れた、なんてことも、ないではないだろうとも思います。無理あるかなあ…。

 そういうわけで。
「これらの3通のボトルメールは、太郎が書いたその島で後年見つかった」
「島は沖縄近辺の、有人の離島」
 というのが、私の考察です。


■手紙は、誰がいつ書いたのか

 手紙、誰がいつ書いたのか。
 3つ目の手紙は、何とか解ります。
 二人が島に流れ着いてから間もなくだろうと思います。
 麦酒瓶の中の真水を大切に飲み、1本空になった時点で、3つ目の手紙を書いて封をして流した。こう考えることは難しくないです。

 問題は、1つ目の手紙と、2つ目の手紙です。
 これ、いつ、どんな状況で書いたんだろう。
 特に、1つ目の手紙。
 これ解釈が分れるところだと思うんですが、以下、私見を綴ります。

 太郎がアヤ子に襲いかかった夕方、海は荒波だったと書かれています。
 熱帯性低気圧が来てたんでしょうね。夏だったんだと思います。
 風が強くて、波が高かったんでしょう。
 よくまあこんな日に聖書を小屋内で燃やしやがったな。

 ところで、1つ目の手紙にも「荒波に船がやってきた」という描写があるわけです。
 これを、いつのことだと解釈するか。

 沖縄には毎年、台風が数回来ますから、波が荒れることはさほど珍しくないはずなので、2つ目の手紙のあの夕方のことだったとは限らないですけどね。
 ただ、その夕方の翌日以降は、太郎とアヤ子は極力離れて暮らしたらしいので、1つ目の手紙に「二人で抱き合ったまま飛び降ります」と書いてはありますけど、これを実際行える状況をちょっと想像できないです。
 なので、やっぱり、「あの夕方から翌日の昼までの間の出来事」と解釈するのが、いちばん無理がないように私は感じます。

 また、3つの樹脂封蝋瓶は、封がされたまま3つ同時に回収されているので、「1つ目を読んで船が救助にやってくる」ことは、実際はあり得ません。
 たまたま通りがかった船を二人で見間違えたという可能性はゼロではないでしょうが、たまたま通りがかった船が、特別な事情もないのに、荒れた海に小船をおろすというのは、ちょっと非現実的な感じもします。
 なので、1つ目の手紙に書かれている船の光景は、おそらく手紙の筆者の幻覚なのでしょうが、そうなると、そこにもし二人一緒に居たとしたら、「一人は見えてるけど、一人は見えてない」という事態に、多分なるでしょ?

 というわけで、いろいろ総合して考えると、以下のような感じのことが、起こったんじゃないかなあと、私は想像しています。

・太郎、アヤ子に岬の大岩で襲いかかる。
・時間経過からして、多分、一線を強引に越える。
・明け方以降、太郎だけ、救助船の幻覚を見る。
・「ギャーこれはもう二人で死ぬしかない」と太郎が一人で思い込む。

・アヤ子、昨日から大きなショックを受けつつ、太郎の急変にぽかーん。

・太郎、急いで小屋か倉庫にノートと鉛筆と瓶を取りに行く。
 まだ小屋は燃えてないので、うっかり消火せずアヤ子のところに戻る。
・太郎、遺書のつもりで1つ目の手紙を書く。
 このときはまだ「二人は一心同体」と心底信じているので、
「哀しき二人」という連名を勝手に書く。

・アヤ子、ショックと恐怖で混乱。お兄様一体どうしちゃったの。
・封蝋まで済んだ。
・さあ一緒に高い崖に行って飛び降りよう、と、太郎アヤ子に迫る。
・何考えてんの冗談じゃないわよと、アヤ子仰天、暴れる。

・どうして暴れるの、僕らは同じ気持ちのはずだろう、
 お前おかしくなったのかいと、太郎両手でアヤ子をがっちり押さえ込む。
・アヤ子、必死で暴れる。
・オーケーわかった。落ち着け。話し合おう。話せばきっと解る。
 とりあえずまずは小屋に戻ろう。太郎一旦計画変更。
・全身傷だらけになりながら、アヤ子を引き摺るようにして小屋に戻る。

・小屋が燃えつきているのを見て、太郎、一瞬呆然として力が抜ける。
・アヤ子逃げる。以後、アヤ子、太郎に近づかない。
・アヤ子、無理心中阻止の目的で、1つ目の手紙の瓶をどうにか持ち去り、砂浜に埋めて隠す。

・太郎、グチグチグチグチ、2つ目の手紙を書く。
 この期に及んでまだ「二人は相思相愛」と信じたい気持ちから、いろんな記憶を、多分無意識で自分に都合よく忘れたり改竄したりしながら、それでいて生々しく記すが、もう連名ではなく「太郎記す」と記名。

 つまり、手紙が書かれた順番は「3つ目→1つ目→2つ目」、3つ目のみ二人で書いて、1つ目も2つ目も太郎が書いた、と、私は考えているわけです。
 この解釈だと、多くの矛盾点の説明がつくような気がして、個人的にはまあまあ満足してます。


■二人は結局、どうなったのか

 私の解釈の仕方だと「心中で幕」とはならないので、案外二人それぞれ生き延びた可能性もゼロではないと感じています。
 私の解釈では、島は無人島ではないので、島民が赤封蝋のボトルメール探しのために島中を探索した際、二人が樹脂封蝋瓶と一緒に見つかった可能性は高いです。
 そのとき、既に死んでいたのか、それとも生存していたのか、生存しててもやっぱり崖から飛び降りたのか、すんなり保護されたのか。
 報告書にふたりの生存者のことは一切書かれていません。
 なので、普通に考えたら、二人とも死んだのでしょう。
 でも、もし、保護されたのだとしたら。
 それを、村民が隠したのだとしたら。
 そこから先の彼らの生活は、どんなものだったのか。
 瓶詰の地獄が懐かしくなるほどのつらい日々でなければいいですけどね。


■補足:そもそもどうしてそんな持ち物で、島に来たの?

 例えば、こんな背景。

 多分最初は、大きめの船で、南方に家族で行こうとしてたんでしょう。
 そしたら、結構でかい台風か嵐が直撃しちゃって、このままじゃ船が沈む、という事態になった。
 数少ない救命ボートに、乗客を乗せて避難させます。
 太郎とアヤ子の両親は、ホンモノの上流階級の人間なので、我先に逃げ出そうとする品のないことはしません。
 で、最後の最後、乳母夫婦と息子と娘を乗せたら、その時点でボートが一杯になってしまうだろうことが解った。
 自分たちは乗れない。息子と娘を守り育てることは最早出来ません。

 波は高く荒れています。しかし、救命ボートは小さいです。
 無事救助されるか、有人島にたどり着けるか、保証はありません。
 助かっても、もしかしたら無人島に流されてしまうかも知れない。
 ならばせめてもの備えをしてやりたい。

 そう思って両親は船長に頼み、ナイフ、火をおこすための虫眼鏡、船内の樽から真水を汲んで詰めたビール瓶3本、様々な覚え書きをするためのノートと鉛筆、そして、心を支えるための聖書、これらを急ぎかき集めて用意し、子どもたちに持たせて、救命ボートに乗せた。

 そして、それを、沈み行く船の中から、手を振り、白いハンカチを振りながら、見送った。

 ボートの乗員は、令息と令嬢を守るためなら、自分の命を投げ出すことも厭わない、忠義の者たちだった。
 だから、大人が全員波にさらわれても、太郎とアヤ子はついに生き残り、ああいう所持品を持って島に流れ着いた。

 そういう経緯なので、両親の生死は不明。
 二人は「両親に早く助けに来てもらいたい」と願いながらも、「お父様とお母様のために」祈りを捧げていたのでしょう。

 こんな感じの考察はどうでしょう。
 太郎が見た船の幻覚は、このときの船だった、という設定のおまけ付き。
 いろいろ飛躍してるかなとは自分でも少し思うんですけど。

 それにしても、太郎、サバイバル能力が高すぎです。
 誰に教わったんだ、あんな知識と技能。
 これだけが、いくら考えてもわかりません。
「本当は、流れ着いたのが太郎14歳、アヤ子10歳くらいの時で、そこから2つ目の手紙まで、実際は5~6年しか経ってない」という状況なら、まだ理解もしやすいんですけどね。
 でもそれなら、どうしてそんな嘘を書く必要があるんだ、っていう話になるし…。


■まとめ

 考察のまとめ

・手紙が書かれた時系列は、3→1→2。
・手紙の筆者は、3のみ太郎とアヤ子。1と2は太郎。
・二人が流れ着いたのは、沖縄あたりの有人島、集落から遠く離れた場所。
・二人の両親はおそらく二人とも他界している。
・「アヤ子と相思相愛」は太郎が勝手にそう思ってるだけ。
・二人はおそらく一線は越えてる。ただし太郎の無理強い。
・結局、投身自殺したかどうかは不明。
・手紙は、3つとも、島の外には流れ出ず、島内で島民に発見されている。
・太郎がどうしてあんなに生存能力が高かったのかは謎。ほんっとに謎。

 今回の読後考察は、こんな感じです。
 太郎怖い。いろんな意味で。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?