ファントムがクリスティーンに求めたもの
『オペラ座の怪人』考察備忘録。
25周年記念公演版をベースに綴ります。
ラウルが地下に助けに現れた直後辺りから。
ネタバレあります。主観の強い長文です。
■ファントム先制
クリスの身の安全を盾にとられた形のラウルは、それ以上強い姿勢で対峙することができなくなり、「愛しているんだ」「せめて彼女に会わせてくれ」と遂にファントムに懇願します。
「構わん好きにしろ!」と傲然と言い放たれたその瞬間、心理戦の敗北が決まります。まあこの手の土俵で、情熱だけが武器の若者が、心理チェスが日常だった男に勝てないのは仕方がないです。
ラウルの口調が、対決から懇願に変わり始めたとき、初めて、クリスの表情が大きく変化します。
細かい機微までは解りません。おそらく本人ですら複雑な感情だったろうかと思います。自分を助けるために乗り込んだラウルが屈服させられる姿が辛かったか。クリスが怪人に奪われるという傷をその心に負わせてしまうことが辛かったか。或いは他の何かか。或いはそのすべてか。
決して嫌いになった相手ではないのですから、平常心ではいられないでしょうそりゃあ。人間だもの。
いずれにしろ、この表情で「ラウルではファントムには勝てない」と最初から感じていただろうことが窺えます。
問題はその感情が、「どこから」来ているかなんですが、そこは、無理して解らなくてもいいことだとも、思っています。人間だからね。
■二人のキス
ファントムは、崩れ落ちたクリスの首から手を放し、本当にラウルと二人で話をさせてやろうとします。
近寄った二人から、一人遠ざかり、その様子をしばし眺めます。
二人が一言も発せずキスを交わす様子を少し眺めたかと思うと、背を向け、何かを取りに行きます。
もしもこのとき、ファントムが、もうしばらくその場で動かずにいられたら、ラウルとクリスは、そのまま別れていたかも知れないと、私は思っています。
あのときの二人に、闘争心のようなものが、ほとんど見られないんです。
「あなたを危険に晒せない。私のことは忘れて」とクリスが言い出し、ラウルが苦悩しながら去っても、さほど不思議はない空気なのです。
そのまま時間さえ経過していれば、それでクリスが地下に残った可能性は決して低くはありません。綺麗に別れるためのキスもあるのです。多分。
しかし、ファントムには、その結果が実際目の前で起こるまでは、理解することはできなかったでしょう。
であれば、目の前の光景を、どう認識したか。
「やはりこの二人は、愛し合っている」
こう思ったに違いないのです。実際そういう部分もありますから。
ならば、ファントムは、そのことを、次の手に利用します。
それは元々ファントムが想定していたピースの一つだからです。
■ファントムの青写真
ファントムは、何かを取りに行きながら、こんな意味のことを言います。
「君のことは歓迎しよう。
それにしても君はなぜ、『私が彼女を傷つける』と思ったんだ?
君と彼女が愛を交わしたからか?
だがそれは、彼女の罪ではない。
彼女を口説いて盗もうとした、君の罪だ。違うか?
なぜ私が、君ではなく、彼女を責めなければならない?」
そして、ファントムは、手にして戻った縄をラウルの首に掛け、そのまま吊し上げます。
「手を首の高さに上げておけと言われなかったか?」と言いながら。
さらに、その展開に驚愕するクリスに言い放ちます。
「私を愛すると言えば、彼の命は助けてやる。
拒めば彼の命はない。どちらを望むか選べ」と。
これが、「クリスはラウルを愛している」と認識していたファントムが、最初に描いていた青写真です。
クリスは最終選択を迫られます。
■ファントムとラウルの違い
これを受けて、クリスがどういう反応を示したかは、ひとまず置いておきます。
私は、先程のファントムの発言を、少し興味深く思ったのです。
「他の異性と愛を交わしたと知ったら、きっと彼女を許せず責めるだろう」とラウルが考えたのは、多分ラウルが、そういうタイプだからです。
ラウルにとっては「伴侶が浮気をしたら、伴侶を責めるもの」が、おそらく常識なのです。皆そうするに違いないと考えている。普通の人ですらそうなんだから、怪物ならなおのことそうだろうと。
ちなみに私はこっちのタイプです。
「浮気がバレそうになったら、絶対に認めてはいけない」などとしたり顔でいう男性がたまにいますが、あれ何なんですかね。誰ですかね、あんな巫山戯たことを最初に言い出したやつは。
粗忽者が「バレてそう?」と思う段階なら、それはもう「バレてる」んだってことが、なぜ解らんのでしょうか。人を舐めくさるのも大概にして戴きたい。あれをやられると、頭の中に氷を突っ込まれたみたいな腹の立ち方になるんです。
一度それでパートナーをギタンギタンに締め上げたことがあります。そんなキツい性格だから浮気されたんでしょうか。だったらなぜ別れを嫌がる。そっちに行けば良いのに。所詮は岡目八目が世の習いです。自分のことは見えてるようで何も見えない。
時間薬が効きはしましたが、古傷は唐突に痛むから厄介です。
私の過去はどうでもいい。
これに対して、ファントムは、「なぜ伴侶を責めるという発想が生まれるのか理解に苦しむ」と発言します。
「クリスが誰と愛を交わして見せようと、そのことでクリスを責めることはない」と言ってるわけです。
そのことは、嘘でも強がりでもない。本当にずっと心から大切にしたままです。
責める愛と、赦す愛。
その是非は、受ける側にもよります。
しかし、赦そうと努力するレベルを超えた赦し方というのは、凄まじい境地だなあと、そんなふうに思ったのです。
正直言うと、その境地に関してだけは、少し羨ましくもあります。
たとえ心がズタズタになるんだとしても、どのみち結局傷つかずにいられはしないから。
このことは、三者が激しくぶつかり合うシーンにも現れている内容です。
それはまた、そのときに改めて。
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