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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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#禅

無門関第十四則「南泉斬猫」現代語訳

公案現代語訳 本則  南泉和尚が、東西両堂の修行僧が子猫を巡って争っているところに出くわした。  南泉は、即座に子猫をとりあげ、言った。 「皆の者。何とか言い得ることができれば、この子猫を助けてやる。  言い得ることができなければ、斬る」  誰も、答えなかった。  南泉は、遂に子猫を斬った。  その晩、趙州が外から帰ってきた。  南泉は、趙州に、この出来事を話して聞かせた。  趙州は、話を聞き終わるなり、靴を脱いで頭の上に乗せ、出て行ってしまった。  南泉は言った。 「お前

禅箴 現代語訳と考察

禅箴  規則に従い真っ直ぐに守るのは、縄もないのに自分を縛るようなもの。  何にも縛られず好き勝手に振る舞うのは、外道や悪魔と変わりがない。  心を静かに澄ませているだけでは、何も照らすことのない邪禅となる。  心に思うまま傍若無人に振る舞えば、深い穴に落ちてしまう。  明晰かつ聡明であろうとすれば、それが枷となり、自らの首を絞める。  善や悪を考えることが、天国や地獄に繋がる。  仏や法にこだわれば、二重の鉄囲山に囲まれることになる。  何かの念が起っても、そこから

無門関後序 現代語訳と雑感

後序  以上、仏祖が示した四十八もの機縁は、決め事に従って最適な案を練るように、初めから不必要な語はひとつもない。  頭蓋骨をひっぱがして裏返し、その眼をえぐり出す。  各人が即座に、自分の裁量で取り組めばそれでよく、他人の答えを参考に求めるようなことはないようにして欲しい。  もし、あらゆるものに通じることのできる、菩薩のごとき人であるなら、わずかに話を聞いただけで、その真に意味するところを識るであろう。  結局、ここから入らねばならないという門はなく、これを昇らねばな

無門関第四十八則「乾峰一路」現代語訳

公案現代語訳 本則  乾峰和尚に僧が問うた。 「諸仏が悟りに至る一路。しかしその道を云々する以前に、  その道の入り口はどこにあるのでしょう?」  乾峰は杖を手に取ると、スッと一筆書いて言った。 「ここにある」  その後この僧は、雲門に教えを請うた。  雲門は扇子を手に取り、 「この扇子は、三十三天まで跳ね上がり、帝釈天の鼻孔にささる。  東海の鯉魚をひとたび打てば、盆をひっくり返したような雨となる」 評唱  一人は深い深い海の底に行き、土をふるい塵を巻き上げる。  一人

無門関第四十七則「兜率三関」現代語訳

公案現代語訳 本則  兜率従悦和尚は、三つの関門として、参禅者に問題を出した。 「草を撥ね除け、仏道修行を行うのは、ただ、自分に備わる本来の清浄なる本性を見いだすため。ならば、人の本性は、どこの処にある?  自分の本性を識ることができれば、生死から解き放たれるだろう。  では、まさに今際の際、どのように解き放たれる?  生死から解き放たれることができれば、その行き先を知るだろう。  では、死して心身がバラバラになるとき、どこに向かう?」 評唱  もしこの3つの問いに、ズバ

無門関第四十六則「竿頭進歩」現代語訳

公案現代語訳 本則  石霜和尚は言った。 「百尺の竿の先から、いかに歩を進めるか」  また、古徳は言った。 「百尺の竿の先に座る人は、悟りに至ったとはいえ、いまだ真の悟りには至らない。百尺の竿の先から、わずかに歩を進めることができれば、十方世界がその身に現れるだろう」 評唱  歩を進め、身を翻すことが出来れば、世界のすべてが素晴らしく尊く思えるようになるだろう。  とはいえ、言ってみろ。  百尺の竿の先から、どう歩を進める? 頌  頂の門に目が眩んでつぶれ  定盤星を見

無門関第四十五則「他是阿誰」現代語訳

公案現代語訳 本則  法演禅師は言った。 「釈迦も弥勒も、いまだに彼の下僕である。  では言ってみろ。彼とは誰のことだ?」 評唱  もし、彼が何者なのか、はっきりと見抜くことが出来れば、それは例えば四辻で父親にばったり出会うようなものである。  父親かどうか、さらに別の人に問うて確かめる必要もあるまい。 頌  彼の弓を引いてはいけない  彼の馬に乗ってはいけない  彼の非を弁じてはいけない  彼のことを知ってはいけない

無門関第四十四則「芭蕉拄杖」現代語訳

公案現代語訳 本則  芭蕉和尚は、聴衆に示して、言った。 「あなたが拄杖を持ってるなら、私はあなたに拄杖を与える。  あなたが拄杖を持っていないなら、私はあなたから拄杖を奪う」 評唱  橋のない川を渡るのを助け、月の出ない夜に村に帰る供となる。  もしこれを拄杖と呼べば、地獄へ入ること矢の如しであろう。 頌  あちらこちらの深瀬と浅瀬  すべてはその掌の中にあり  天をつき そして 地を支え  随所に宗風を振う

無門関第四十三則「首山竹篦」現代語訳

公案現代語訳 本則  首山和尚は、竹篦を取り上げて聴衆に示し、言った。 「さて諸君。もし竹篦と呼べば触となる。  竹篦と呼ばなければ背くことになる。  諸君、さあ言ってみろ。何と呼ぶ」 評唱  竹篦と呼べば触となる。  竹篦と呼ばなければ背くことになる。  言葉で語ってはならない。  沈黙してはならない。  早く言え。早く言え。 頌  竹篦を取り上げて  活殺の令を下した  背くも触も抜きつ抜かれつ  釈迦も達磨も命乞い 注釈  ここでいう竹篦(しっぺい)とは、師が参

無門関第四十二則「女子出定」現代語訳

公案現代語訳 本則  むかしむかし、ある日のこと。  文殊菩薩が世尊のもとを訪れたら、ちょうどそこに多くの仏さまが集まっているところに出くわしました。皆それぞれの持ち場に帰っていくところでした。  しかしよく見れば、一人の女人だけが、彼の仏座の近くで三昧境に入っていました。  文殊菩薩は仏陀に言いました。 「どうして女人が仏座の近くにいることが出来るのだ。私でもできないのに」  仏陀は文殊に告げました。 「あなたがこの女人の目を覚まし、三昧から起こして、あなたが自ら訊ねてみ

無門関第四十一則「達磨安心」現代語訳

公案現代語訳 本則  達磨が壁に向かって座禅をしていた。  二祖が雪の中立っていた。  肘から下を切り落として言った。 「あなたの弟子はいまだ不安です。  どうかお願いです、師よ、私を安心させてください」  達磨は言った。 「その心を持ってこい。お前のために安心させてやろう」  二祖は言った 「心を探し求めているのですが、どうしても得られません」  達磨は言った。 「お前のために安心させ終わった」 評唱  歯の欠けた西方の爺さん、十万里の海を渡ってわざわざやってきた。  

無門関第四十則「趯倒浄瓶」現代語訳

公案現代語訳 本則  潙山和尚は、元々は百丈の寺にいて、典座を務めていた人である。  百丈は、大潙山の寺の住職を、選ぼうとしていた。  そこで、首座だけでなく、修行僧全員に、同じ条件で自らの悟りの境地を述べさせ、住職にふさわしい人物を向かわせようとした。  百丈は、浄瓶をとりあげ、地面に置き、出題した。 「これを浄瓶と呼んではならん。ならばこれを何と呼ぶ」  首座はすかさず答えた。 「木の破片と呼ぶわけにはいかないもの」  百丈は向き直り潙山に問うた。  潙山はすかさず浄瓶

無門関第三十九則「雲門話堕」現代語訳

公案現代語訳 本則  雲門に、僧が問うた。 「光明寂照遍河沙」  一句言い終わっていないうちに、雲門が言った。 「張拙秀才の語じゃないか」  僧は言った。「はい」  雲門は言った。 「話が堕落した」  後に、死心禅師がこれを取り上げて問うた。 「さあ言ってみろ。どこのところが、この僧の話が堕落したところか」 評唱  もしもこれに対して、雲門の用処が孤危であり、どこがこの僧の話が堕落したところなのかを、見抜くことが出来れば、人間のみならず天人の師となることもできるだろう。

無門関第三十八則「牛過窓櫺」現代語訳

公案現代語訳 本則  五祖法演は言った。 「例えば、水牯牛が窓の格子を通るようなものだ。  頭、角、四つの蹄はすべて通り過ぎたが、  どういうわけか、尾だけが通らない」 評唱  もし、これに対して、顛倒し、一隻眼を得、一転語を下すことが出来れば、四恩に報いることが出来、三有を資けることができるだろう。  そう出来ないなら、尾を照顧するところから始めればよかろう。 頌  通り過ぎれば穴に落ち  帰って来たなら壊れてしまう  この尻尾というやつは  実に奇怪であることよ