無門関第三十八則「牛過窓櫺」現代語訳

公案現代語訳

本則
 五祖法演は言った。
「例えば、水牯牛が窓の格子を通るようなものだ。
 頭、角、四つの蹄はすべて通り過ぎたが、
 どういうわけか、尾だけが通らない」

評唱
 もし、これに対して、顛倒し、一隻眼を得、一転語を下すことが出来れば、四恩に報いることが出来、三有を資けることができるだろう。
 そう出来ないなら、尾を照顧するところから始めればよかろう。


 通り過ぎれば穴に落ち
 帰って来たなら壊れてしまう
 この尻尾というやつは
 実に奇怪であることよ


注釈
 水牯牛とは、牝の牛と、去勢を施した牡の牛のことです。

 顛倒とは本来「逆さまにすること」という意味の語ですが、仏教用語では「真実に反した考えを持つこと」というような意味もあるそうです。

 四恩とは、この世で受ける四つの恩。
 具体的な中身は文献によって多少異なるようですが、ざっくりと「親の恩と、世間の恩と、仏の恩」に集約されると思えばよさそうです。
「あらゆる恩」くらいの解釈の仕方でいいかと思います。

 三有とは完全に仏教用語なのですが、これもまた、具体的な中身にはいろいろな切り口というか、理解の仕方があるようなのです。
 いずれも哲学的で非常に難解なのですが、「あらゆる世界に生きる人々すべて」と考えるか、「あの世まで含めた、人の一生の在り方」と考えるか。そのいずれも内包していると考えるならば、「輪廻転生を繰り返す、迷い多き衆生」とでも解釈すればいいでしょうか。

 照顧とは、照らし顧みること。ひとつひとつじっくり見、振り返り、考える。そういう意味合いの熟語のようです。

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