贈り物・形あるモノ・大事なもの:”アルバム天地創造”
アルバム”天地創造”の発売前に高見沢さんが”歌詞にも力を入れましたので歌詞カードをじっくり読んでくださいね”みたいなことを言っていたので歌詞を詩集のようにじっくり読んでいるシマリスです。(*アメリカ在住です)
読んでいて気付いたのが高見沢さんが 物 を書き分けていること。
歌詞カードを読まずに曲を聴いているとどれも mono なのでわからなかったのですが、書き分けがあるということは書き手の意図に違いがあるということです。
日本語は難しいですよね、同じ音でも違う漢字、同じ漢字でも違う読み、そして同じ言葉でも違う表記!! 日本語が母語の私たちは教科書や会話や読書なんかで自然と身についている使い分けですが、学習者の皆さんは苦労されると思います(うちの夫もそうでした)。
例えば 高見沢さん可愛い! 高見沢さんかわいい! 高見沢さんカワイイ! 高見沢さんkawaii! と最後の部分を変えるだけでそれぞれ受ける印象も書き手の意図や思惑なども変わってきますね。
アルフィーも表記が ALFIE、Alfee、ALFEE、The ALFEE、THE ALFEE、あるふぃー、アルフィー、と変わるとまるで形や在り方自体も変わるような印象です。
12曲中、5曲に もの という単語が出てきますが、高見沢さんがそれぞれを書き分けた意図は何だったでしょうか。
1. ”組曲:時の方舟”の 者
者、は物と同語源ですがこの漢字で表記してあるとこれが人間であることがわかりますね。なので”愛する者”とは高見沢さん(もしくは坂崎さん・桜井さん)ですね! ”お前が愛する物” だと・・・・誰かは焼酎、誰かはカメラ、誰かはゴジラになります。(*記事を書いて丸一日経った後に曲名が天地創造になっていたのに気がつき訂正しました。時の方舟です!)
2. ”おくりもの” と "友よ人生を語る前に” の もの と 物
日常的に目にする物は、形があり触ったり持ち上げたり匂いを嗅いだり出来る物体です。贈り物・大事なもの・生き物は以下の1と2の説明に当てはまりますね(Weblioより)。
ただひらがなでおくりものと表記されると抽象的で形は見えないけれど大切にしたい、愛に溢れる素晴らしい何か、という柔らかくも美しい印象になります。高見沢さんがタイトルをひらがなにしたのは読む側が”贈り物”と受け取るとどうしてもネックレスやケーキや花束やなんかの物質的なプレゼントを思い浮かべるからだと思います。高見沢さんのおくりものはそんな物とは次元の違うに尊く美しい何か、だとわかります。
この もの は物質的な物ではなく、以下のような内容を体現化する名詞です。ウの説明が当てはまりますね。これも漢字で書かなかったことから何らかの一般的な形を思い浮かべるのを阻止したかったのかな、と思います。
”人生とはそんな物” と”人生とはそんなもの”だと人生の重み・意味・在り方が違う風に取れますね。
3. "My Life Goes On "と "風の時代" の モノ
カタカナを使うルールで思い浮かぶのは外国語、オノマトペ、生物の学名などですが、本来はひらがな・漢字の単語でもわざとカタカナで表記することがありますね。カタカナ表記に関する論文をひとつ見つけて読んだのですが(記事の最後に貼り付けておきます)私たちはニュアンスや雰囲気などの違いを細かく察知して使い分けているようです。ケータイ、キムタク、ヤバい、スベる、チラッと・・・どれも漢字やひらがなで書くのとは違った印象です。
物をモノと書くと、どこか抽象的でなんとなく異質感も漂います。カタカナを使うと言葉が際立ち、本来の意味(物・things)がもっと広がったり深まったり形を変えたりするようなマジックがあるように思えます。
”掴んだ物 なくした物”だと なんとなく生々しく聞こえませんか?
物、だとどうしても現実的になり富や赤い車や白いマンションなどが思い浮かびます。
”もの”になんとやや抽象的ですがそれでもまだ想像できる範囲です。幸ちゃんは何を掴んだのか、失くしたのか、成功や恋や自由や制限や時間や名声や、そんな色々が思い浮かびそうです。
でも 掴んだ”モノ”となるとありふれた”物”という概念を超える何かがありそうです、私たちの想像を超える何か。掴んだ・失くした本人にしか分かり得ない何か。
それは”風の時代”のモノとも似ています。単なる周りにある物・日常にある物ではなくそれを超越する私たちの人生や考えや感情に影響している 何か が浮かんできます。それは人それぞれ違う モノ であり、私たち皆が違った モノ を頭に思い浮かべるのではないでしょうか。
”モノに縛られず”生きる自分を想像した時にそれが特定の人物や物体を思い浮かべることもできるし、人間関係、行動、思考、約束、文化や習慣、しきたりや常識、病気や恐怖、などの目に見えない何かともとれます。
もの・物・モノを使い分けることによって、私たち聴き手の世界を広げ、しなやかにも真っ直ぐにも高見沢さんの言葉が届くようにしてくれているのですね。
それぞれの楽曲がより私たちの心に近いものになり、現在と未来では歌詞から受け取る”もの”がまた変わり、まさにその時々の自分なりの”天地創造”が始まるようです。
高見沢さんが ”歌詞も読んでね!” とにこにこしながら言っていたのを思い出して ”読んだよ!高見沢さんやっぱり天才やな!” と返したいシマリスです。
シマフィー
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