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辞める人

今日の職員会議で数学の先生が1月いっぱいで辞めると聞いた。
他にもっといい条件の仕事が見つかったらしくちょっと遠くに引っ越すらしい。
仲が良かった先生ではないし、接点がたくさんあったわけではないが、見慣れた顔がまた一つ日常の中から消えるのはやっぱり寂しい。
生徒にも慕われ、面白い授業をする先生だった。料理も上手でケーキやクッキーを焼いて教室に持ってきていたのをおすそ分けしてもらったこともある。

ここで必要とされ、慕われていたのに、辞める。辞めたかったのだろうか?

再来週から代わりの先生が来るらしい。本当に代わり、なのだろうか。

私はここで10年以上もがんばってきて、自分の仕事ぶりを誇りに思っているが、これまでにここを辞めることは何度も何度も考えた。
その度にこの学年の生徒たちが卒業したら、この大きい仕事が終わったら、新任の先生が自立したら、と思っていたがそれは間違いであると辞めていく同僚たちを見て思う。

いくら私が素晴らしい先生であっても、自分じゃなきゃダメな仕事があっても、他の教師から必要とされていても、私の代わりはすぐに見つかる。
全く同じではなくとも、私のポジションに同じようなスキルを持った誰かが収まり物事は進んでいく。
“あの先生は良かった、帰ってきてくれたらいいのに”と思ってもらえるのもせいぜい半年くらいで、残された者はその中で機能するシステムを見つけそこから発展してゆく。

至極当たり前なことなのだけれども、自分がやらないと!と頑張っていた時はそうは思えなかった。私の代わりはいない、とさえ思っていた。
経験を積んでわかったのは、私の代わりはごまんといるということ。

人の記憶が薄れるのは早い。
新しい人と比べられる時間は短い。
自分という歯車が外れたシステムはちゃんと動く。

これまでは辞めよう辞めようと思っていて辞めなかったのはそういう事実を認めたくない自分がいたからだろう。そんなこと有り得ない、と自負していたからだろう。

辞めていく彼をスクリーン越しに見つめて、この先生は生徒にも他の教師にも慕われたいい先生だったけど、次の職員会議ではもう名前も出ないんだ、とぼんやり考えていた。もちろん行った先でシステムに組み込まれ、また必要とされ、重宝されるだろうけれど、ここではそうではない。

仕事を辞めるのは勇気がいるな。
まだここは辞めたくないけれど、もしそんな状況になった時に辞めるとなると、勇気がいるな。

辞めていく人の笑顔を見つめながら、ひょっとしたらあれは作った顔ではないのか、自分が忘れられゆく事実が胸を締め付け、さっさと代わりが見つかった悔しさに苦しむのを隠すための作り笑顔ではないのか、と思っていた。

そうであって欲しい、じゃないと辞める人は辞められない、と思っていた。

シマフィー

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