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破る校則、生きる校則

私が高校生だった頃、校則は恐ろしいものであり、バカバカしく意味のないものだった。まだ経験値の低い15歳の私には ”なんでよ、バカじゃねーの?” と思えた校則が生徒たちの話題に上る時は大抵が文句だった。

髪の毛は肩にかかってはいけない。

靴下は白でなくてはいけない。

廊下を走ってはいけない。

リップクリームは色がついていないものでなければいけない。

理由があってこんな校則があったのだろうから、きちんと説明して生徒たちに納得してもらえばよかったのに、と今でも思う。”してはいけない” と言われるとしたくなるのがティーンエイジャーなので、私たちは数ある校則を破りまくっていた。

私が勤めているアメリカの私立校にも校則はある。だけど、自分がかつて通った九州の田舎の公立高校と比べると非常に”大雑把”な校則だ。

本校生徒としての誇りを持って指定された制服・靴を着用。

物、人、自分を傷つけないこと。

自分と他者の学びを妨げないこと。

常に感謝・尊敬・慈愛に基づいた行動をすること。

それだけである。

たった4つの校則にいろんな意味と解釈が込められ、生徒たちが各々にこの規則はどういう意味なのだろうか、なぜわざわざ教室に掲げられているのだろうか、自分はこのどれかに当てはまるだろうか、を考えさせられる時間も設けられている。

歴史や文学、アートや音楽、保健体育や数学、それとランチや休み時間、いつでも機会があり学んでいることがこの4つにつながることならば、先生も生徒も立ち止まって ”校則のあれと似ているね” とか ”これはうちの校則に反映されているね” と会話をする。

私が科学を教えていた年に、外で植物採集をしたことがある。その時に9年生の生徒が ”先生、まだ緑の葉っぱを切り取ってしまったらちょっとかわいそうだね” と言った。すかさず他の生徒が ”他者を傷つけてはいけないよね” と笑う。もう1人が ”感謝の気持ちを言いながら採集したらいいんじゃないかな” と提案をする。そして彼らは約20種類の植物の葉を切り取り、袋に入れるたびに ”Thank you, tree!" と口にした。真剣にありがとう!と思っていなかったかもしれない、たかが植物、と思っていたかもしれない、だけど私は彼らが ”ありがとうね” と言うのをかわいいなぁ、と思いながら聞いていた。

ある時は英語が得意でなかった留学生が数学でカンニングをしていたのが見つかった。数学の先生は大きな声で怒ったらしいが、周りの生徒たちは留学生を擁護して ”彼だけ数学用語の英語がわからないのは不公平だ、数学がわからないのではなく、英語がわからないのは大きなハンデだ” と掛け合ったらしい。”自分と他者の学びを妨げない”ために彼らは声をあげた。それをきっかけに、留学生たちは小さなインデックスカードに数学用語とその対訳を書いたものを授業とテストに持ち込むことが許可された。

こんな風に、毎日の学校生活の中で校則は生き生きと活躍している。生徒たちは4つの校則に納得していて、それを破ると退学になる可能性があることもわかっている。校則を恐れてはいないし、馬鹿らしいと思ってもいないし、忘れることもない。

シマフィー 







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