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なんで馬鹿にさるっとかわからん。

東京の小さな女子大に進学した私の最大の心配事は
友達ができるか、と
方言を馬鹿にされないか、でした。

で、結論からいうと友達はちょっとできて方言は馬鹿にされるので隠蔽しました。

生まれ育った宮崎の方言は単語もイントネーションも独特で、テレビで見るような日本人のように喋る人は周りには一人もいません。
本人達は標準語で話してると思っていても、やっぱり宮崎弁です。

高2で英会話を学び始めた時, 先生に 発音がいいね! と褒められていたので、大丈夫だろうとは思ってました。日本語の発音で笑われることはないだろう。
まぁ訛ってるとしてもちょっとだけだろうし、日本語で意味も通じるだろうから馬鹿にされることはないだろう、といざ上京するまではそこまで心配もしていませんでした。

じゃっとによ、最初の授業んときによ、音声学の有名な先生かい言われた言葉にぃ耳があつーなるほど恥ずかしーなったっちゃが。

あん先生は、宮崎へんから来た生徒を教えたことがなかったっちゃろうかい。
ゲランゲラン笑いながら、『君は英語の発音はアメリカ人のようなのに、日本語のアクセントは本当に面白いね』ってゆうたっちゃが。
そんときは いやじゃぁ恥ずかしがー、こんげ みんなん前で言わんでんいいとに
って思うばっかいやったけんどん、後から思えばよ、こんげなんこと人前で笑いながら言わんでもいいとによ、ってまっこつ くらすごつあったが。

もちろん東京のクラスメートにはこんな風に愚痴を吐いたりしません。共通の日本語で話さないと、この人たちにもっと笑われますから。
音声学の先生はみんなの前で私のアクセントを笑い、その苦い体験から
方言はカッコ悪い 標準語でないと笑われる
となるべく綺麗に標準語(と言われる日本語)を話すように努めました。
故郷に帰ることは、留学してからは本当に少なくなったので、18で上京してからは私の日本語は “標準語”でした。

そして年月は流れてアメリカ生活9年目の教室で、私はスピーチ学の教壇に立ちます。
演説や発表など、パブリックスピーキングの担当でしたが、その流れで文法や発音・発声(効果的なアクセントのつけ方や音の強弱など)も授業で教えていました(生徒は皆アメリカ人です)ので生徒も発音に気をつけるようになります。

その中に南部から来ていた生徒が一人いました。どうして彼女が南部から来ていたかわかったかというと、彼女の発音・アクセントが南部訛りだったからです。
ゆっくり目に母音を口の中でまあるく回転させるように話す、南部独特の訛りはクラスの中で目立っていました。
彼女は自分のアクセントを気にしている様子で、みんなの前でスピーチをするのを顔が青ざめるほど怖がっていましたが、このクラスは必修科目でパスしないと卒業できません。
一生懸命にゆっくりと南部訛り話す彼女を笑う生徒もいたのでしょうか。

ある日授業が終わってから、呼び止められました。
前回のスピーチの点数が60点だったからです。
本人は一生懸命にやったとは思いますが、こちらは点数表(ルーブリック)に基づいて全員公平に点数をつけなければいけませんので、そのように説明すると

Miss Shima, I know I sound stupid, but I ain’t stupid. I know I don’t talk like other people here.
(シマ先生、馬鹿みたいに聞こえるとはわかってますが、私は馬鹿ではないんです。みんなと同じように話せないのははわかってます)

と言いました。彼女は怒っていました。

遠く離れた州で進学し、あらゆる場面で方言を馬鹿にされた人の怒りでした。

方言のせいで60点ではなかったことを説明し、次の発表に向けてのヒントなどをあげながら見つめた彼女の顔は18歳の私の顔でした。

この子もこれから一生懸命に練習して “標準的な”英語を喋るようになるのかしら。
方言を忘れる代わりに、自分のルーツもちょっと無くしてしまうのかしら。

若い頃は、方言が恥ずかしいかぃ頑張って東京ん人んごつ喋らんにゃいかんて
思ちょったけんどん、東京の言葉は自分のじゃないかい、なーんか自分らしさは出らんがね。あの生徒もそんげなんこつ思いながら今でん南部の訛りで話しちょるといいがねぇ。人んルーツを馬鹿にするんげなん馬鹿どんを、笑い飛ばしちょったらいいがねぇ。

*宮崎弁で書いてある部分がわからず翻訳をご希望の方は聞いてください。喜んで訳します笑


シマフィー

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