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マイノリティ代表

自分が”みんなと同じ”な環境にいたのははるか30年以上前のこと。生徒たちにはいまだ28歳で押し通しているのでこの事実は黙ってておいてほしい。(*アメリカ東私立校で教師をしています)

日本を出てからあっちやこっちやをぶらぶらして生きてきた私は、この30年間毎日何かしらのマイノリティとしての扱いを受けてきた。

母語や文化や見た目や考え方なども、着ているものや持ち物さえも周りの大多数とちょっと違う。場所によっては目立ちすぎて嫌な目にあったり、気をつけてひっそりと暮らしていても”あいつは日本人だから”とカモにされたり無茶な要求をされたこともある。
一人で可哀想だからと同情されたり、変に気を遣われたこともある。

そんな環境の中、マイノリティ代表(私)は発言や立ち位置に常に気をつけ、言葉足らずで誤解を受けたり、不必要に嫌な印象を与えないように気を遣って生きてきた。

というのも、時に自分が”マイノリティの代表”とみなされ、自分の意見や視点や思想がそこにいない同胞(日本人や日本人のような他国の人)に影響を与えることを身に沁みて知っているからだ。
よその”マイノリティ代表”選手がやらかしたことや発言などを元に、自分が同じ括りとしてジャッジされてしまったことが数多くあるのだ。

マイノリティ代表は時に辛く苦しい。

スペインに住んでいた時に街を歩いていると チーナチーナ!と囃されることが多かった。チーナとは中国人のことである。アジア人のマイノリティ代表は中国人であることが多いのは世界中のどんな田舎に行っても必ず中国人がいる事実からも正しいことであるように思われる。

ある日いつものようにバルのそばを通り過ぎた時に高校生の集団から大きな声で指をさされ チーナ!!と呼ばれた。私はキッと振り返り、大きな声で ”NO! ハポネッサ!!!” と叫び返したが、彼らにしてみればチーナであろうがハポネッサ(日本人)であろうが”同じ”なので、何も事態は変わらない。
実際彼らは へぇ! っという顔をして ハポネッサ!ハポネッサ! と笑った。

私が怒りを覚えたのは中国人に間違えられたからだろうか。
それともマイノリティ・アジア人であることをからかわれたからだろうか。
どっちもな気がする。
ちなみにそんな声をかけられている私を庇ってくれる人はいなかった。
周りの道ゆく大人も へぇ、チーナ!? みたいな感じで振り返ったりしていた。
この場合の一番良い対処法はなんだったのか今でも不明だが、とりあえず彼らはアジア人が2種類いることはわかったのだからそれでいいとする(笑)。

この例は嫌な気分を味わっただけだが、アジア人だからという理由で暴行されたり殺されたりすることもある。日本製自動車の躍進に押されたアメリカの自動車産業の翳りにより、日本人と間違われリンチ殺害されたベトナム系のビンセント・チンさんが思い浮かぶが最近でもよくある話なのだ。
そう思うと何もわからない大多数に、マイノリティ代表とみなされることは恐ろしい。

私の考えや行動がアジア人のもしくは日本人の”普通” だと認識されるのも恐ろしい。なので自分の意見を発表する時に必ず ”私個人の意見ですが” と一言前置きを入れる癖がついた。

また、唯一のマイノリティであるが故に面白い体験もする。
先日スーパーで年上のご婦人に声をかけられた。

”あなた、どのトーフが美味しいのか教えてくれない?オリエンタルの人にここで会えてよかったわ〜 私、どれが美味しいのかわからなくて”

人によっては ”なんと差別的な!” と怒るかもしれない。
実際この話を白人の同僚にしたときに彼女は ”そんなことを言うなんて恥ずかしい!” と憤っていた。

オリエンタル、という呼び名は差別語ではないが一般的にはもう使われることはなく、なんとなく戦前のアジア人差別を思わせる。
私がアジア人だからトーフに詳しい、と決めているのもステレオタイプ・偏見である。

でもこのスーパーにおけるオリエンタル代表の私はちゃんと ”このHouseのが美味しいですよ〜、日本のメーカーですからね〜” と答えた。だってここで怒ったり無視したりすると ”アジア人って冷たい” とか "アジア人は不親切だ” とか思われるかもしれない。彼女がこの先出会う誰かをそんな目で見ることもあるかもしれない。

彼女は ほーー っという顔をして ”日本のトーフとアメリカ製のトーフはやっぱり違うのね!オリエンタルのあなたには違いがわかるのね!よかったわ〜聞いて!”と感心してくれた。

いや正直あんまり違いはわからないが、オリエンタル代表として彼女の期待を裏切らないよう ”もちろんです!日本のは豆の味と香りがいいし口当たりもより良いのです!” と答えておいた。
Houseさんの売り上げを伸ばすのに貢献でき、いいことをしたと思っているが、この発言で彼女はもうアメリカや中国製の豆腐を買わないかもしれない・・・そう思うと責任重大だった。

これらの体験は見た目(人種)でのマイノリティだが、”We こちら”と”They あちら” というのは見ただけではわからないことの方が多い。
そして私たちは誰しもがマイノリティになるマジョリティである。

マジョリティで代表になるのはなかなか難しいが、マイノリティ代表は嫌でもやってくる。
代表としてどう発言するか行動するか判断するか・・・その影響が個人としての自分よりももっと広く遠くに及ぶのを考慮して上でどうするかを決めねばならない。

個人と個性を尊重して欲しいと思いながらも、多様な社会に生きるというのは代表としての決定がとっても多いってことなんだろう。

シマフィー 




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