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忘れられない告白

中国の大学で教えていた時、ほぼ毎週男子生徒からラブレターを貰っていた。

色んな方法でラブレターはやって来る。

宿題に貼り付けて
テストの裏の余白に
郵便で
手渡しで
友達を経由して
そして自宅のドアに貼り付けられて

私は大学敷地内の教職員用の寮に住んでおり、通りを挟んだ寮に住む生徒等はなぜか教師の部屋番号や電話番号を知っていた。
生徒たちは教員用の建物に入ることは許されておらず、門番もいたのに一体どうやって忍び込んでいるのか不思議だったが何週間に1度か2度は部屋のドアにベタベタと手紙が貼り付けられていた。他の先生に頼んだのだろうか?

書いてあることはかわいらしい。30歳の私に(生徒が歳を知っていたかはわからないけど)18、19の子供が書くラブレターは一昔前の少女漫画に出てくるような乙女チックなものだった。

あなたの笑顔を想うと夜も眠れない
星がきらめくのと同時にあなたの声が聞こえます
美しい花を見るたびにあなたが恋しいです

そんな昔の純文学のような文句が並んだラブレターは微笑ましかった。彼らにとって多分私は初めて出会った外国人の大人の女性で、きちんと化粧をして、香水を振り、ハイヒールとスカートで授業をする唯一の教師だったのだろう。

最初ラブレターを貰った時はどうしようか、と戸惑ったが生徒に送るなとも言わず返事もせず、そのままにしておいた。彼らも別に返事を催促もせずデートに誘うこともない。そこらへんの線引きは出来ていたのだろう。

その中で熱心にラブレターをくれる男子生徒がいた。名前を思い出そうとここ何日も考えたが全く思い浮かばない。覚えているのは彼は痩せて背が低く、ドラえもんのスネ夫みたいな子だったこと。私の授業は一学期しか受けなかったけれど、その大学の任期がおわるまでの何ヶ月か、彼は週に2度は手紙をよこしていた。

私はキャンパスで生徒とすれ違えばあいさつや立ち話をするし、時々カフェテリアで一緒のテーブルに座ることもあったけれど、スネ夫は私からあいさつをしても会釈するだけでそそくさと逃げるように立ち去り、まともに会話をしたこともない。
時々彼のクラスメートが私に スネ夫が先生の似顔絵をノートに描いている とか スネ夫が先生の写真を遠くから撮っていた と教えてくれた。それはちょっと気味が悪いがスネ夫は私に近づくことは全くなかった。

5月の末に最後の授業を終え、生徒たちが敷地内の公園でピクニックパーティーをしてくれた時もスネ夫はそこにいたのだが、遠く離れたところでおとなしくチビチビと手羽先を食べていた。私の“ファン”だというラブレターを送っていた男子生徒たちからたくさんの花束やプレゼントを貰い、一緒に写真を撮ったりしている時も、スネ夫は近くに寄ってこなかった。

毎週毎週届けられる、熱い想いの詰まった星のフラメンコのような長文の手紙がこのおとなしく陰気な生徒に書かれたものとは信じがたいほどの正反対な態度だ。

スネ夫のラブレターは中国語だけでなく英語・日本語でもロマンチックで少女漫画な言葉が満載で、一生懸命に辞書を引き、精一杯の愛情を表現しようとしているのがわかる。時には古典を引用したりシェイクスピアのセリフをちょっと変えたりもしている凝ったものだった。

ピクニックがお開きになり、生徒たちが片付けを始めた時にひとりの生徒がスネ夫の手を取り、私の方へ引っ張ってきた。“握手してもらえ。先生は今日が最後だぞ。”と促す友達の手を振り切り、スネ夫はぴゃーーーーーーっと全速力で走って逃げた。
それを見ていた全員があっけにとられると同時に大笑いした。私も笑ってしまった。
まだ子供だもの、恥ずかしいやら気まずいやら色んな感情があるだろう。手紙を書くのが好きで、別に私に真剣に恋をしていたわけでもないのだろうし。

その後教員のお別れ会に顔を出し、夕食後にカラオケ屋にも繰り出し、自宅に戻ったのは深夜1時を過ぎたころだった。
真っ暗な部屋の寝室にある留守番電話にメッセージを示す赤い光がチカチカしているのが見える。

冷蔵庫から出したペットボトルの水を飲みながら再生すると日本語が聞こえてきた。誰かが日本語で歌を歌っている。何となく聞いたことのある歌詞とメロディ・・・・これは、チャゲアスの SAY YES ・・・それにしてもびっくりするほど下手くそだ。
サビのところでは感情が高ぶったのか叫ぶように大きな声で
♪愛には!愛で!感じ!合おうよ! と応援歌のような歌い回しで続く。
あまりにもシュールで笑うのも忘れて一番を全部聴いてしまった。

2番が始まってようやく手がふるふると震えてきて暗い部屋大きな声を出し笑ってしまった。震え過ぎてボトルから水が溢れ、床はびしょびしょだった。
そこからはもう笑いが止まらず最後まで呼吸が苦しくなるほど笑い続けてしまった。

最後のワンフレーズが終わり、一拍置いて

“お前を愛してるぜーーーーー” (日本語)と絶叫が聞こえ、そこで留守電は終わった。

2回目を聞く勇気はなかった。もうお腹が痛いほど笑っている、もう一度聞いたら笑い死ぬ。今、この記事を書きながらも思い出し笑いを堪えて胸が苦しい。

名前は無かったが、それがスネ夫なのは明らかだった。

長いこと生きてきて愛の告白を何度もされたけれど、スネ夫の歌と告白が多分プロポーズよりもずっとインパクトがあり、死ぬまで忘れることのない告白となった。

中国を去る時に手紙の類は全て捨てたが、スネ夫のラブレターは取っておけばよかったかな、とちょっと後悔している。

シマフィー 

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