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君たちの言葉で先生は変わった

生徒たちとの会話の中には本当に様々な学びがあり、ハッピーになったり、考えさせられたり、恥ずかしくなったり、涙が出たり、胸が苦しくなったり、とずっとずっと後まで私の中に残る一言も多い。(*アメリカの高校で教師をしています)

その中で私が行動を変えるきっかけになったものをいくつか書いてみる。

”僕は頭が悪いから”     その生徒はいつもそう言っていた。宿題を忘れたり、テストで不合格だったり、みんな理解できている課題が難しかったり、と何かあるたびに ”僕は頭が悪いから” と時には笑い、時にはうなだれて言っていた。よく聞けば、彼の母親が毎日のようにそう言い続けているらしい。”お前は頭が悪いから人より努力せねばならない” ”賢くないのだから、大学には行かないでいい” ”頭が悪いのだからせめて愛想よくしなさい”  そんな言葉の中で大きくなった彼は何をするにも自信のない子供だった。出会った時は9年生だったが、卒業するまでの間、私は会うたびに彼にポジティブな言葉をかけ続けた。You are so kind(優しいね)!  You make me laugh(面白い)!  What a great artist you are(絵が上手)! Hey, my best student(最高の生徒)! I love your ideas(素晴らしいアイデア)!  そんな小さいポジティブだったが彼に(他の生徒にも)たくさんの言葉をかけるようになった。何がきっかけで自信を失い、また取り戻すかわからない。それなら出来るだけ頻繁に声をかけたいと思わせた一件だった。

”前の先生はコーヒーブレスだった”     Coffee breath とはそのまんま息がコーヒー臭いこと。私の前任の先生はたくさんコーヒーを飲んでいたのだろう、生徒たちがその先生の思い出を語った時に口を揃えて言ったのがそれだった。Coffee breath は、まぁ要するに口臭がひどかったのであろう。私はそれ以来、学校に歯磨きセットを持ち込み、日中は3−4回は歯を磨いている。ちょっと狂ってるかなと自分でも思うほど頻繁に磨く。

”Mr.Rはレイシストだ”       泣きながら私の教室に駆け込んだ中国人の生徒たちが英文学のR先生を批判した時に訴えたのだが、R先生は決して人種差別者ではない。Racisit と言った理由は、彼らのエッセイの点数が軒並み悪く、先生からのコメントは簡潔に ”高校生並みの文章を書け” とだけあった。英語が母国語でない生徒にこのコメントはショックだったに違いない。そしてこのコメントは全く生産性がなく、意味もない。中国人の生徒だけがこんなコメントをもらっていたので、若く・人生経験のない彼らは人種によっての差別だと受け取ったのだろう。誤解はのちに解けたが、私はこれをきっかけにコメントやアドバイスの表現にも誤解を生まぬよう、かなり気をつけている。

”シマ先生の宿題は時間がかかるから嫌い”      もうしばらく前のある生徒の言葉。当時私は全員に全く同じ宿題を出していた。それが”公平” というものだろうと誰から教えられることもなしに、そう考え、生徒の知識と能力を公平に伸ばすために・測るために同じ宿題、同じテスト、同じプロジェクトをさせていた。訴えた生徒は読むのが得意でなく、内容を理解するプロセスが長くかかる子供だった。もちろん読解スキルを練習し、伸ばすのも大切だけど、人が15分でできるところを1時間もかかる宿題はその子にとっては“良い”そして”公平な”宿題ではない。時間がかかるのが理由で学ぶのが楽しく無くなったり、睡眠時間が削られたり、授業に来るのが憂鬱になるのはよろしくない。というわけで、私は生徒たちそれぞれが同じ内容の課題を違う方法で出来るように工夫し始めた。正直準備にも採点にも時間がかかるが、生徒たちの理解や進歩は早い。

生徒たちは何気なく口にしたであろう一言が、私を変え、そして変わった私が生徒たちに何らかの良い影響を与えているといいな、と思っている。

シマフィー 



#あの会話をきっかけに

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