見出し画像

嫉妬からくる批判・革新の視点:重いランドセル

小学生たちが、重いランドセルの負担を軽くするためにランドセルに直接セットできるような小さな車輪がついた2本の棒を開発した、というニュースを読んだ。↓

というか、このニュース自体はその発明品に対して大人がいらぬ世話を焼きニュースのコメント欄にとんちんかんな”批判”を残して、それに開発者の小学生たちが反論する、という報道だった。

まずは上の記事をクリックして読んでみて欲しい。あなたはどんな感想を持つだろうか。
馬鹿馬鹿しい批判だと思うのか、一理あると思うのか、小学生の方が大人だなと感じるか、なんでこんなことがニュースに、と呆れるか。

私個人は”大人の批判”を読んでみても共感できることが1つもなかった。
勝手かもしれないがコメントの奥底に沈む 嫉妬 のようなものさえ見える。
それは、俺らは我慢して背負ってたんだから楽するんじゃねぇ という嫉妬だったり、ランドセルはこういうものなんだから変えるんじゃねぇ という嫉妬だったり これまでの伝統なんだから黙っとけ という嫉妬だったりする。

バックパックにキャリーのようなコロコロがついたものを初めてみたのはスペインで働いていたときだった。2006年のこと。
近所の小学生は皆思い思いの柄やサイズのキャリーをコロコロしながら学校へ通っていたが、それにはちゃんと腕を通す部分がついていて背中にしょえるようにもなっていた。
アメリカにある我が校でも生徒たちは大きなバックパックに手提げなどのダブルバッグで登校する(*アメリカ東で教師をしています)。
小さい生徒はもちろんコロコロがついたものを持って来ている。
”楽をしちゃいかん、心も体も鍛えないと”など先の批判コメントにあったような寝ぼけた文句を言う大人はいない。

ちなみに教師もコロコロのキャリーケースが必要な時がある。
自分専用の教室がないスペイン語やドイツ語の先生たちはコロコロに授業で使う全てのものを入れて教室間を移動している。

外国がそうだから日本も見習え、と言っているわけではない。
ただ私にとっては小学生の”実用的”な開発に下らん文句を垂れる大人が少なくないことに驚いた。
忍耐や、苦労や、人知れぬ努力などが美徳とされる文化ゆえか、その美徳の方向がちょっと違う風に批判として現れている気がする、嫉妬をベースに。
もちろんそうではない大人の方が多いと思うが、小学生たちが反論せねばならないほどには批判コメントが目についたのだろう。嫌な大人だ。

ちなみにその実用的な開発品のページはこちら↓で、パッと見、お値段(5400円)に驚いてしまいそうになるが、シンプルながら色んな工夫がされていて軽くて丈夫な金属を使い、いちいち取り外さなくてもいいように伸び縮みするなら適正価格なのではないかな。開発費もかかっているし、原価だけの商品は存在してはいけない。

そして何より私が気に入ったのは、このクラウドファンディングで集まった資金で、彼らは廃校に大きなスクリーンでゲームが出来る部屋を作りたい、ということ!

子供の視点で開発し、実際に使うのは子供で、更には売り上げは子供がやりたいことに使われる。
もう徹底して Innovation of the kids, by the kids, for the kids なのが素晴らしい。これは自分の生徒だったらすごいすごいと褒めっぱなしになる気がする。

日本にももう浸透していると思われる STEAM (Science Technology Engineering Art Math) のプログラムはこんな風に日常の不備や不便や不安などをどう解決するか、どんな風に人や社会や自然に貢献できるか、をゴールに置いている。

嫉妬深い大人たちに次の世代の ”革新・Innovation" が邪魔されないといいな。
彼らの時代は彼らなりの視点と重要性と価値観で動いている。

昔ながらのランドセル自体を否定するわけではなく、それにつける2本の棒とコロコロを開発した、という事実にもそんな未来が映っている。

シマフィー 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?