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オレンジチキンとカロリナ

アメリカに留学して8年ほどたち、博士課程の1年目を終えるかどうかの時に急に何もかもが嫌になった。今思えば Burned out ・燃え尽きていたのだな、とわかるがその時はちょっとだけ息抜きをすればまた楽しく論文を書いたり研究したりできるかもしれないと思っていた。
30目前で、まだフルタイムで働いたことはなく、仕事自体も大学内だったため外に出て毎日働くというのは魅力的に映った。そしてその息抜きというフルタイムの仕事のために中国まで渡った(ここでその話が読めます)。

結局中国には5年ほど滞在したのだが、それはそこでの暮らしや仕事が好きでたまらなかったわけではなく、そこを出たらどうするのかがまだわからなかったのと、幸運にも私は現地企業や学校から引く手数多でかなり稼いでいたことが理由だった。中国での生活はもちろん素晴らしい経験もあったけれど、80%くらいはストレスで出来ていて、健康的な自分からは遠かった。

そんな暮らしを終わりにするために向かった先はスペインのセビリヤだった。
どうしてかはハッキリしないけれど、陽気で暖かくて、空が青くて、フラメンコギターの音が聞こえてきて・・・と勝手に想像するままに “ここにしよ” と決めて仕事も見つけた。(スペイン第一日目の様子はここで読めます

学校で斡旋してくれたアパートは大聖堂から近い入り組んだ路地に隠れた4階建ての2階の部屋で、同時期に赴任したカナダ人教師のカロリナという同僚との二人暮らしだった。

二人ともたくさんお金があるわけではないので食事はもっぱら自炊で、代わり番こに夕食を作る計画も立てた。カロリナは料理は下手ではなかったけれどオムレツとパスタとジャガイモと肉の煮込みをローテーションで作るくらいにレパートリーは少なかった。

この夜の夕食は私が当番で、カロリナは甘えた声で
あ〜オレンジチキンが食べたいなぁ〜 シマは中国に住んでたから作れるでしょう?
とすり寄った。

まず、オレンジチキンという小さな唐揚げにオレンジ味の甘酸っぱいタレをかけた料理はアメリカの中華料理の定番であり中国にはないことを話したが、そんなことはどうでもよかった。一度オレンジチキン!という単語を聞いてしまった私はもうオレンジチキン以外を食べたいとも思えなくなってしまっていた。そういえばここに来てから中華料理も日本料理のレストランも見ていない。

善は急げでさっそく冷蔵庫にあったもも肉を小さく切って、下味をつけるべくボウルにいれる。さっきちらっと見たらオレンジも冷蔵庫にあったし。
あとはサラダの準備をしてお米をガスにかける。

ちゃっちゃと洗い物をしてから改めて冷蔵庫のオレンジを・・・と手に取ると、レモンだった。レモンでもオレンジチキンに出来る、かな、無理か。
近所の店に買いに行くか、とも思ったがスペインの小売店は店じまいが早くもう開いていない時間だった。

カロリナに、“オレンジないから明日にしよう”と言ってから、しまった明日は日曜だから店自体が開いていないと二人とも気づいた。ちょっと前に仕掛けたご飯はもうちょっとで炊き上がる。

唐揚げにして、レモンをかけようか? と言う私に 

ちょっと待ってて!と彼女は勢いよく外に走り出た。

ベランダから石畳をかけていくカロリナが見え、一体どこにいくのだろうかと見ていたがすぐに視界から消えた。

10分ほど経って帰ってきた彼女の手にはオレンジが3個あり、手の甲や腕には小さな引っかき傷もついていた。

街路樹に登ってオレンジを3つとったらしい。

木登りは久しぶりだったしサンダルだったから〜と笑う彼女は知らなかったけれど、セビリヤの街路樹のそれはそのままで食べるには苦く、スペイン人の友人は

これはイングランドに送る用で、俺らは食べないよ

と笑っていたオレンジだった。
*英国に送ることはなく、かの地の食生活を皮肉っての発言だと思います。

彼女はウキウキで これでオレンジチキンが食べられる! とはしゃぎ、私はその苦い果肉と果汁に大量に砂糖を投入して甘酢を作った。

二人で鍋いっぱいに作ったオレンジチキンを腹12分まで押し込み、床に寝っ転がって大笑いした。カロリナが木に登るところを見たかったなぁ!
スペイン人の何人かが足を止め、びっくりして木を見上げたり声をかけたりしたらしい。

排気ガスで汚いから食べるなよ!って言われた〜 と笑う彼女を

でも、オレンジチキンを諦めるわけにはいかないもんね!とかばうと、二人でわははと声を揃えて大笑いした。

街路樹からもぎ取った排気ガスまみれのオレンジを食べた私たちは幸せすぎるほど幸せだった。

翌日に改めて見ると、カロリナが登った木は実がなる枝までに足場となる小さな枝もなく、彼女がどうやって上まで登ったのか検討もつかないほどの大木だった。
見上げると美しくまん丸の実がキラキラと輝き、青い空に映えて、これぞスペイン!という絵柄だった。

シマフィー

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