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さよなら殺し屋


大学生の頃、クラスメートの男の子にデートに誘われた。

彼はクリクリの肩まで伸ばした赤毛に鼈甲のメガネをかけ、いつもパリッとしたシャツにチノパンというきちんとした格好で授業に来ていた。
私が通っていたロッキー山脈が見えるコロラドの大学にはそんな男子はいなかった。
みなパーカーかトレーナーに汚れたジーンズか短パン、靴下にサンダルもしくはトレッキングシューズなどのカジュアルな格好だった。

彼、ローマン、はまるでニューヨークかボストンから来た様な洒落た出で立ちでクラスの中で目立つ存在で、いつも笑顔でフレンドリーで、積極的に発言し、たくさんの友達に囲まれている今時の言葉で言うと “リア充” な男子だった。小さなえくぼが出来る笑顔が天使の様に可愛らしく、すらっと伸びた手足に不釣り合いなほどピュアな見た目だった。

そんなローマンが授業終わりにスタスタと私の元に駆け寄り
“シマ、明日の午後一緒にピクニックに行かない? 二人だけで、デートだよ”
と誘ってきたとき、私は心底驚いた。

その当時の私はリア充とは正反対の場所にいた。
長く付き合った彼と別れ、バイトもせず、友人と呼べる人もほとんどいない。学校から帰ると話し相手は飼っていた2匹のチワワしかいなかった。出かけるのも億劫で、クラブに入らないかとかスタディグループに来ないか、という誘いも断り続けていた。

静かに教室に入り、静かに出る、そんな私の名前を彼が知っていたのも驚いたし、ましてやデートに誘うなんて不思議だった。
断ろうと思っていたけれど、ローマンはキラキラしてニコニコだった。
こんな“デキた人”をガッカリさせることはしてはいけない、と思った私は
いいよ、と返事をした。
彼がキッカケになりもうちょっとましな大学生活が送れるかもしれないと期待したのだとも思う。ローマンみたいな楽しい人と一緒にいたら、気分も良くなって毎日にハリが出るかもしれない。

ローマンは満面の笑みで私の食べ物と飲み物の好みを聞き、明日は僕が全部セッティングをするからシマは何にも持ってこなくていい、と念を押した。

翌日待ち合わせの公園で見つけた彼の車にはピクニックのバスケットが二つ入っていた。一つはサンドイッチやチキンやサラダやチーズがたくさん詰まっていて、もう一つはシャンパンと果物とケーキが入っていた。グラスやお皿もガラス製が入っていた。”ちゃんとした”ピクニックなのだ、とその時に理解した。

山並みが見えるちょっと高台の公園の芝生に座り、生まれて初めて映画の様なピクニックを体験した。ローマンの楽しい話とロマンチックな雰囲気に、私はかなりときめいていた。久しぶりのちゃんとしたデートに期待が高まるばかりで、カッコよくて博識でおしゃれなローマンと正式に付き合うことになったらいいなぁ、とまで思っていた。

お酒を飲み、美味しいパンとチーズを食べ、デザートのケーキを半分ずつにして食べた私たちははたから見ていると幸せな恋人同士に見えたろう。私はパートナーがいるとこんなに楽しいんだ、と感動していた。

夕日を背に映画の話をしている彼の手元にふと目がいった。何かをつまむ様にチッチッと片手の指先を動かしている。
最初は敷いてあるラグの上だけだったがそのうち外側の地面の上をつまみ、チッチッと指先をこすり合せる。

“何してるの?” と聞いた私に、彼は変わらない笑顔で答えた。

“あぁ、アリを殺してるんだよ。”

“なぜ?噛まれたの?”

“いいや、でもアリはたくさんいるし、役に立たないし、いらないだろう?”

それを聞いた瞬間私のロマンチックな時間は終わった。
彼には何も言わなかったが、理由もなく生き物を殺す人間を好きになることはない、と自分でわかっていた。そう考えるとすぐさま家に帰りたくなった。

”暗くなる前に帰ろうか、ありがとう” と片付けを始めた私の頬を、ローマンが右手を伸ばして優しく撫でた。キスをしようとしている。
さっと顔を離し、“さっきまでその手でたくさんアリを潰してたじゃない” と言うと、彼は “そっか、ごめん、手を洗うよ” と笑顔で水のボトルの栓を開けようとした。

“そうじゃない、洗っても一緒よ”

立ち上がりながらスカートの裾をパンパンと払い、残ったものをバスケットに入れ始めた私に、彼は困惑した表情で

“何が一緒なの?” と聞いた。背後から赤毛に夕日が当たり、輪郭だけは天使みたいに見えた。

ラグの上のアリの死骸をパッパッと払い落として彼が立ち上がる。その様子を見ていてもっと腹立たしくなった。


“殺し屋にキスなんかするわけないじゃん、お前こそいらんわ“


帰りの車の中で小さな蛾を見つけた。助手席のウインドーを下げて蛾がハラハラと飛び去るまでスピードを落としつつ、ローマンの困惑した表情を思い出して、一人で笑った。


シマフィー

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