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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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#音楽

”青春”時代の歌って何?

"What songs bring you back to your youth?" という質問が生徒から来たことがあります。 そんな風に聞かれ、私にとっての youth は中学生でも高校生でもなく、大学に入った頃かなぁとなんとなく感じたのを覚えています。中・高校は ”子供” との認識で、その時代は youth に入れなかったーーー40代の私から見た青春は18−20くらいだったのでしょうね。それほど20歳はもう遠くなっていたと言うことです。そう思うと、現在30代の人の”青春

スパルタのカラオケ in 中国

アメリカの大学院でやや燃え尽きていた私は2000年の頭に中国で英語を教える職を得、1年間の予定で引っ越しました。中国語も話せず、右も左もわからずでしたが、なんやかんやで5年以上そこで仕事をしました。 決して中国の暮らしが性に合っていたわけではありません。どちらかというと毎日 ”早く出たい、中国から遠く離れたところに行きたい” と切望していました。あれから随分時間もたち、今振り返ると理不尽で不公平で腹立たしい思い出が山ほどある中、中国で学んだ大切なこと・・・自分のことだったり

音楽が連れてくる過去

学生の頃聴いていた音楽は“今”を楽しむものだった。 若い私は 今現在を楽しんだり、しんみりしたり、涙を流したり、愛を語ったりするために、この曲がふさわしいとかあのバンドのレコードをかけよう、と音楽を決める。 この歳になると音楽は過去を連れてくる。 今楽しんで聞いていたとしても、なぜか過去と直結している。 訪れた場所や、馴染みの喫茶店や、好きだった人や、私を振ったバカヤロゥなどにスルスルと繋がっている。 それは多分新しい曲を聞いたとしても、その詞であったりメロディであったり、

Raspberry Beret: 赤い髪が歌う

極寒のミネソタ州で過ごした大学時代は偶然だけど音楽にまつわる思い出が多い。 以前書いたプリンスの思い出、デビューした友人、どちらもミネアポリスでの話だ。 大学3年の時の友人は留学生が多く、その中の何人かはプロで通用する様な音楽の腕前を持っていた。 ウッドベース、バイオリン、マンドリン、ウクレレ、弦がついていれば何でも弾けたドイツ人のマックス。 ピアノ、ドラムス、マリンバ、ハーモニカ、弦がついていないものは何でも上手だったフランス人のドミニーク。 フラメンコ、クラッシック、エレ

フォークの日に:私を作った音楽

子供の頃は自宅での”音楽権”はもちろん親が持っていた。子供の私は彼らがかけるレコードを聴いているしかなかったわけで、意図しなかったであろうがその時代のフォークやポップスはしっかりと刷り込まれている。3歳ごろには母に連れられてイルカさんや南こうせつさんのコンサートにも行った。ぐずりもせずにお利口に音楽を聴いていたと母が言っていた。 自分で音楽を選ぶ様になったのは中学に入ってから(アルフィーさんです)でそれ以降はあっちやらこっちやらでいろんな音楽を聴いてきたが最近になって自分は

His name is Prince, the One and Only:小さい大きな思い出

プリンスと聞いてまず誰が思い浮かびますか? 英国のプリンスチャールズ、ディズニーのプリンスチャーミング、星の王子様のリトルプリンス。アル中さんは高見沢さんが永遠のプリンスですよね。 そしてミュージシャン、Prince Roger Nelson その多彩な音楽・エンターテインメント性で”プリンス”というジャンルを確立し、ありとあらゆる試みの先頭を切り常に第一線にいたのはまさに王子の貫禄でした。 たまに出るテレビではそのシャイな一面やジョークいっぱいの話しぶりが人間味に溢れ

エンヤは歌う、心臓は止まる

随分前になるが心臓の手術をした。 カテーテルの先にカメラがあり、それを太ももの付け根にあけた穴から静脈にいれ、心臓まで送りそれを見ながら何か切ったり貼ったりするらしい。 すーぐ終わりますよ、大体20分くらいです。あなたが一番最初の患者さんで、その日はあと5人同じ手術をします。前日に問診をした若い医者はそう言った。 人生のほとんどをこの病気と過ごし、もう治らないものだと思っていたのに、私が国外をぶらぶらしている間に医学は進みその面倒な病気は完治できる確率が限りなく100に近

Do Anything: 捨てられた私の思い出の曲

不思議なことにミネアポリスに住んでいた時は音楽関連で楽しいことがたくさんあった。以前プリンスとの小さな思い出を書いたが、それもミネアポリスでのことだ。 ミネアポリスはシカゴほど大きい都市ではないがほどほどに大きく美しい都会で、自然だけではなく美術や音楽などの文化も大切にされていた。 プリンスの出身地だけあってライブハウスでも質の高いバンドが演奏していたし、カフェや大学構内のホールでもクラッシックからジャズ、ラップにゴスペルまで色んな音楽と触れ合える機会が山ほどあった。 そ