マガジンのカバー画像

I Recall, Therefore, I Am

93
山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
運営しているクリエイター

2021年2月の記事一覧

バレンタインデーとキラキライケメン

2月14日を真剣に“やってやろう”と思ったのは高1の時、一度だけだった。それ以降は勝負をかけていない。 一応言っておくとまだ昭和の時代である。 同じクラスになった彼はなんと小学校4年時のクラスメイトで、私が引越しで転校するまでの1年間毎日顔を合わせていた。それ以来の再会となったのだが、私は顔を見て名札を見ても一瞬彼がわからなかった。 小学校の時はごく普通のぽっちゃりさんで勉強でも運動でも目立たず、特に何とも記憶に残らない男子だったその彼が、キラキラと輝く背が高いロン毛のイケ

オレンジチキンとカロリナ

アメリカに留学して8年ほどたち、博士課程の1年目を終えるかどうかの時に急に何もかもが嫌になった。今思えば Burned out ・燃え尽きていたのだな、とわかるがその時はちょっとだけ息抜きをすればまた楽しく論文を書いたり研究したりできるかもしれないと思っていた。 30目前で、まだフルタイムで働いたことはなく、仕事自体も大学内だったため外に出て毎日働くというのは魅力的に映った。そしてその息抜きというフルタイムの仕事のために中国まで渡った(ここでその話が読めます)。 結局中国に

静かな棚田の夜

道に迷った。 そう確信した次の瞬間に、どんな行動を起こしますか? 今なら携帯のGPSや地図を見る、かな。 道ゆく人に聞く、目印を探す、誰かに電話をする・・・そんな選択肢もありますが、あの時道に迷った私にそんな選択肢はひとつもありませんでした。 強いて言えば太陽が出ていたので、東西南北はわかりました。 フィリピンのルソン島、ちょうど真ん中ほどの田舎町からバイクタクシーに乗った私とボーイフレンドのイェンスは棚田を目指していました。 大きなバックパックを背負う私たちに、タクシーの

Noteは生きている証明と自分用遺書だな

Noteの記事を読んでくれる人に私の顔や本名や身長体重や貯金の額を知る人間はおらず(身内では母しかnoteの存在を知りません)、それは自分が意図したことであり、これまでの友人や同僚や昔の恋人には私の視点で見た出来事をこれからも絶対に読んでもらいたくないと思っています。  それでいて、このページに存在している私というものは、自分がこれまで顔を見せ、心を開閉し、言葉を交わし、手を繋いできた直に関わりのある人なしでは成り立たず、その人たちが絡み付いている文章を本人が読むことが出来

役に立つ英語:誰も教えてくれなかったあの言葉

ウンコという単語は学校でも英会話教室でも習いませんでした。さらには”なんて言うの?”なんて友達に尋ねたりしたこともありませんでした。馬鹿馬鹿しいと感じる方もいるかと思いますが私の実体験からこの記事を書いています。 留学して一年ほど経った頃に寂しさのあまりペットショップで見たチワワを買ってしまった私がその2週間後に彼を連れて初めて獣医さんに行った時の事でした。 ワクチンを打ったりした後にお医者さんに Next time you come, please bring a st

連続100日目のお祝いはポテポテのお母さんのこと

お母さんは優しい。怒られた記憶は全くない。 若々しくて、美人で、ニコニコ可愛くて、参観日はいつも友達に いいなーシマちゃんのおかあさん、綺麗でいいなーーーと羨ましがられるのが嬉しかった。 前は153センチあったけど、今は149センチに縮んだ。ポテポテ体を揺らせて歩く。 自分が幼い頃に憧れだったピアノを何年間のローンで手に入れ小さい私に習わせてくれたが、働きづくめで時間がなかった時代を終え歳を取ってからやっと自分の練習を始めた。 仕事で夜遅かった翌朝はお弁当を作る時間がな