マガジンのカバー画像

I Recall, Therefore, I Am

93
山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

行ったことある場所・国の印象を1行で表してみよう!

ほんの一部ですが、これまで行ったことのある国や都市を思い出しながら、1行で印象を語ってみたいと思います。思い浮かんだ順に書きますので行った順番とかでもないです笑。 もしよろしかったら日本でも国外でも、行ったことのある場所の印象を1行でコメントしてください。 *注意!!あくまでも私の印象で、しかも何年も何十年も前の印象で、季節やら天候やら出会った人やらに左右されている主観的な1行です!ご了承くださいませ。どこの国もたくさんいいところあります。 何かの参考になるでしょうか。

教師を続ける理由:透明のエンジニアと春巻に思う

どうして先生になったの?と聞かれることが多いのですが、コレだ!という理由は見つかりません。 学校は特に好きではなかったし、覚えている先生もほとんどいません。 ただ先生を続けるきっかけとなった出来事はありました。それは自分の人生で一番に後悔がいっぱいの、思い出すたびにぎゅっと胸が締め付けられる出来事です。 アメリカの大学3年、4年時にボランティア活動をすると就職に有利だと大学に言われ、ボランティアをいくつかしたことがあります。 留学生で労働ビザもありませんし、ボランティアし

“なのに”と“だから”の壁

アメリカに留学してから3年目のある日、街の電気屋に入った時にこう言われました。 ”We got nothing to sell to people who don’t speak English.” (英語が喋れない様な人に売るものはうちにはないよ) あまりに突然で驚いたので、とっさに返す言葉もなく店を出た後で、 “おい、私はまだ一言も喋ってないよ”と気づきました。 店番のおじさんは私の顔を見て決めたのです、コイツは英語を喋れない、と。 外国人・アジア人に偏見があっ

なんで馬鹿にさるっとかわからん。

東京の小さな女子大に進学した私の最大の心配事は 友達ができるか、と 方言を馬鹿にされないか、でした。 で、結論からいうと友達はちょっとできて方言は馬鹿にされるので隠蔽しました。 生まれ育った宮崎の方言は単語もイントネーションも独特で、テレビで見るような日本人のように喋る人は周りには一人もいません。 本人達は標準語で話してると思っていても、やっぱり宮崎弁です。 高2で英会話を学び始めた時, 先生に 発音がいいね! と褒められていたので、大丈夫だろうとは思ってました。日本語

ずっと遠くに好きだった人

ずっと昔に大好きだった人を想い、もしその人にもっと優しくできて、もっと広い心で接してあげて、もっと信じてあげたら、どうなっていたのかなと想うことがある。 若い頃は譲ることを知らず、また責めることは簡単にできたので、大切だったあの人たちとの関係が終わったとしても こんなもんか と吹っ切れるのも早かった。 素敵な人はまた現れるし、また恋に落ちるし、また喧嘩になるし。 そしてまた終わる。 過去に大切だった彼らとの写真は手元にはないと思っていたけど、今日整理していたハードドライブ

バスの中:過去と今とこことあそこと

アメリカ、ミネアポリスの大学に通い始めた頃はバス通学でした。 雪深く、極寒の冬が長く続く街でしたが、特に気にもせず毎日氷点下のバス停でバスを待ち、校舎まで・家まで5分ほどテクテク歩いていました。 車に乗るようになった今、思えばまぁよく文句も言わず鼻の中やらまつげやらを凍らせながらもバスに乗っていたなぁ、と感心しますが、バスは市民の皆さんの足であり凍った道を自分で運転するよりはずっと安全な交通手段だったと思います。 そんなバスの中で、一度だけ嫌な思いをしたことがありました。

弱小運動部が弱くも小さくもない世界

我が校の運動部は弱小チームばかりです。 アメリカでは季節ごとにチームスポーツが変わり、秋はラクロス、冬はバスケット、春はクロスカントリーなど一人の生徒が3学期違うチームで頑張ることも可能です。 運動が好きで得意な生徒はあらゆるクラブで活躍しますが、そんな万能選手がいたとしても1学期という短い期間ではチームの結束やあうんの呼吸のような連帯感は生まれにくく、特に我が校では生徒の入れ替わりも多いため、チームワークの基盤を作るのが難しいようです。 去年まで(今年はオンライン授業です

結婚したくないぶらぶらの私が結婚した

私が結婚すると決めた時に、周りは一人残らず えーーーーーーーっ! といったと思う。両親も、親戚も、友人も、皆私は独身のままずっとぶらぶらし続けると信じていたのだ。私自身もそうだった。幾つになっても結婚したいという気持ちは全く起こらず、むしろ結婚してしまうと自分のやりたいことが制限されてしまうと恐れ、それまでに受けたプロポーズも断ってきた。 ぶらぶらしていると言うと語弊があるかもしれないが(ちゃんと仕事をして独立していたので)、私の生活自体はまさに ぶらぶら で、あっちに住んで