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【長編小説】人ヲ殺して、もらいマス。#03

 5月12日 月曜日 PM19:00 / 伊原舜介

 高山は七時ちょうどに来た。
「だいじょうぶ?」
 高山はヘルメットを外しながら、心配そうに訊いてきた。
「確かに体調が悪いようには見えないけど・・・・」
「体調は悪くないんです。――ちょっと、まあ、ズル休みですね」と照れたように笑いながら自分のヘルメットをかぶった。
「ならいいけど・・・・。僕もズル休みはしょっちゅうだからね」と高山も笑ってヘルメットをかぶり直した。
『レッド・バファロー』は、環八沿いにあるステーキ&ハンバーグを扱っている店だ。伊原のアパートからは、歩くと三十分弱かかるが、バイクだと十分もかからない。伊原のバイクでの最速記録は五分二十三秒だった。
 店は三階建てマンションの一階にあり、正面の壁面は丸太作りの山小屋風に仕上げられていた。入口のドアの上には本物のバファローの角が――少し小さめで迫力には欠けるが、誇らしげに飾られていた。
 好みのグラム数でハンバーグを焼いてくれて、それを熱く焼いた鉄板で出してくれる。付け合せのニンジンのグラッセやインゲンなんかも冷凍品ではなく、ちゃんと調理したものだったので、伊原はその場所に住み始めた四年前から週に三回は通っていた。
 入口の木製ドアを開けると、低音のカウベルが鳴る。実際に牛の首につけていたベルで、その音を聞くと、確かに牛がのんびりと草を{食}(は)んでいる高原の風景が頭の中に思い浮かぶ。
 店内は、二人掛けテーブルが六つと、カウンター席が四席ある程度の、小ぢんまりとした店だった。それでも休日の夜は、待ち時間がでる程度には繁盛している。その日は月曜の夜だったせいか、席は六割ほど埋まっている程度だった。
 いつも二人が選ぶ窓際の席には先客がいたので、その次に選ぶ奥の壁際にある二人掛けのテーブルに坐った。
 そこの壁面には、牛一頭分のなめした革の表面に絵が描かれたものが飾られていた。革の中心に濃い茶色で牛のシルエツトが三頭描かれ、その周りを同じ色で直線的な図形や柄が描かれていた。
 高山はそういうものにはあまり興味なさそうだったが、伊原は好きだった。とくにそのネイティブアメリカンの精神をシンプルに表現した模様は興味深かった。いつか、デザインしているステーショナリーの柄として使うこともあるだろうと思って、頭の中にストックしているぐらいだった。
 高山との話はいつもバイクのことが多い。マフラーがどうしたとか、今度ライトを明るいのに変えるとか、シートも変えてみようと思う、とか。それが高山と食事をする中で一番楽しいひと時だった。
 高山もそうだろう。彼はまだオフロードバイクは初心者だったが、それでもいきなりフルサイズのカワサキKLX二五〇を購入してしまったので、いまはなんでも情報が欲しいらしかった。雑誌を買ってきては、よく伊原に意見を求めてきた。まだ初心者だった高山からすると、伊原程度の知識と経験と年齢がちょうどいいみたいだった。
 食事も終えて、何杯でもお代わりできる薄いコーヒーを飲みながら、伊原が愛車のスーパーシェルパで栃木まで脚を伸ばしたときの話をしていた時、不意に高山が{怪訝}(けげん)そうな顔をした。
「――何ですか? なにか話がおかしかったですか?」
 伊原が話を止めて高山に訊いた。
「え? いや、ごめん。話の腰を折って悪いと思うけど、首の後ろに付いているのってなに?」
 そう言われて、伊原はあのブラックボックスのことを思い出した。
「あ、これ?」と笑いながら器具を探る。
「これは・・・・、そう、肩こりを解消してくれる装置なんです」
「肩こり?」
「そう。オレ、こう見えても肩こりがひどくて・・・・」
「そうだったんだ。・・・・低周波みたいなやつ?」
「どんな作用かよくわかんないっすけど、こいつをつけてると確かにスッキリするんですよ」
「へー。はじめて見たよ。結構でかいね。ちょっと見せて?」
 伊原は後ろを向いて、すこし髪をあげた。
「目立ちます?」と伊原。本当に心配だった。
「まあね」と高山の方が照れているみたいに笑った。それとも爆笑を噛み殺しているのか?
「でも効果あるんだったら、いいよね。そんなに気になるもんじゃないし。髪おろしてたらわかんないよ」
「そうです? なら良かった。ちょっと目立つかなーって気にはなってたんです。――どうですか? 高山さんもおひとつ」
「いや、僕はまったく肩凝ったことないからなー。遠慮しとくよ」
「残念だなー。でもこれ見かけによらず、結構高いんですよ」
「そうなんだ。――高いって、八千円ぐらい?」
 伊原は大げさに首をふった。とてもそんなんじゃ買えませんよ、という表情を作りながら――。そして片手を広げて五を作った。
「五千円?」
 伊原が自信満々に首をふる。
「え?、じゃ、五万円?」
「結構するでしょ?」
「ま、まあね。そんなにするとは思わなかったよ」
 高山はもう一度伊原を後ろ向きにして黒い装置をじっくりと見ていた。
「そう高いものには見えないけど、機能がすごいんだろうね。――それにしても、伊原君はお金持ちなんだね」
「バイクの他に趣味があるわけじゃないし、バイクにしたってそんなにつぎ込んでるわけじゃないっすからね」と伊原は照れくさそうに笑った。
 そんな高価なものだったら、これからしばらくの間こいつを付けてても怪しまれないだろう、というのが伊原の読みだった。なにしろこれから四六時中つけているのだし、あと何日間このままなのかもわからないからだ。
 ここで、高山に高価なものだという印象を植え付けておけば、今後、ずっとこれを付けていたとしても、それほど深く詮索してきたりはしないだろう。効果ぐらいは聞いてくるだろうが、とにかく、このブラックボックスに関する細かい話は今回限りにしたい、というのが伊原の願いだった。
「ところで、バイクどうしたの?」
「ちょっと調子悪くって・・・・」と伊原はことばを濁した。
「重症なの?」
「そうでもないんですけど、もう寿命かなぁ」
「そうなんだ。――じゃ、伊原君もどう? KLX二五〇」
「え?」
 伊原は驚いて高山を見た。考えてもいなかった。KLX二五〇に憧れてはいたが、購入となるとちょっと気が引けた。安いもんじゃないし、フルサイズなので扱いが難しいって聞いていたし――。
「僕が買ったバイクショップが安くしてくれるっていうんだ。在庫調整かなんかで――。興味ありそうな人がいたら紹介してって」
「え? そうなんですか?」
 伊原は思わず身を乗りだした。
「で、いくらにしてくれるんですか?」
「細かいことまで聞いてないけど、新車のコミコミで四十万は切ると思うよ」
「え? 四十万? それは考えちゃうなー」
 確かに、今はバイクがないのだ。今どころかずっと――。だからどうせ買うなら次はKLX二五〇にしたいと伊原も漠然と考えてはいたことだった。
「今度ちゃんと聞いてくるよ。いくらにしてくれるか。――で、色は?」
「もちろんエボニーで」
「お。渋いねー」
 高山がにっこりと笑った。
 彼のバイクの色はライムグリーンだった。
 その日、高山は伊原をアパートまで送ってくれた。
 伊原は彼のバイクの後ろに乗せてもらいながら、もうすぐこれが手に入るかもしれないと思うと、本当に嬉しかった。そんなに熱望していたわけではないと思っていたが、じっさい手に入るのが現実性を帯びてくると、彼はもう絶対欲しいと思うようになっていた。
 伊原は高山のバイクの後ろに乗せてもらいながら、そっとシートを撫でてうっとりしていた。まるで溺愛するペットの毛をやさしくすいているような気分だった。

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