SNSで消費「させられている」と感じる時間はありますか?
出勤・帰宅の際に乗るの電車の中。
周りを見回すと、ほとんどの人がスマホを覗き込んでいます。
ランチを終えた昼休み
予定のない休日
寝る前の布団の中
私は特にSNSを使っている時間が長くなりがちなのが悩みです。
「悩みです」と書くのは、そのことに心のどこかで消費「させられている」と感じるからです。(お金を払わなくても、そのサービスとして利用し、時間を捧げることを「消費」と呼ぶことに補足は不要ですよね)
一旦、視点を変えますね。
私たちは「価値を消費する」と「価値を創り出す」を循環しながら意味を生み出している。
ときどきそんなことを感じます。
例えば、私が「文章の書き方」についての本を読むとき。
書店で本を買い、読むというのは「消費行動」です。
でも、読んで終わりではありません。
本で読んだことを参考にして
仕事でつくる資料の質が向上する
ブログがもっと読んでもらえるようになる
雑誌などで寄稿する文章が伝わりやすくなる
これは「価値を創り出す」行動につながっています。
本を読むという「消費行動」
文章を書くという「価値創出」
この2つは私の中でひと続きの営みです。
その結果として「そのような営みを繰り返してきた私が書く文章」という意味が生まれます。どんな消費をし、どんな価値を創出してきたのかを身に纏って社会と向き合う感じです。
私が業務外の活動である2枚目の名刺について業界誌に寄稿させていただいたり、インタビューをしてもらえたのは、私自身の知識や技術というよりも、そういう経験を纏う公務員自身の言葉であるという意味にニーズがあったからです。
ご飯を食べて(消費)、元気に働く(価値)
お土産を買って(消費)、感謝を伝える(価値)
大学で勉強して(消費)、現場で実践する(価値)
イベントに参加して(消費)、行動を変える(価値)
一方で価値創出にはつながらない、またはその感覚がない消費行動があるのも事実。
暑い日にアイスを食べる(消費)のは、美味しい、涼しい、気分転換など自分自身が価値を受け取るだけで、自分の手による価値創出にはつながりませんよね。(多少、作業が捗るのでしょうが)
もちろん、価値創出につながらない消費がダメとかそういう一方的な決め付けがしたいわけじゃありません。
これは自分の中で終わる単なる消費か価値創出につながる消費か、自覚して選択しているかどうかを大切にしたいと思っているんです。
(もしかしたら、そのあたりの区別に、私自身が過敏……?)
はなしを戻します。
SNSを使っている時間が、そのサービスを消費「させられている」と感じるという話題でした。
これは、消費はあるけど価値創出がないことと強く関係しています。
SNSのタイムラインを眺めながら
「○○さん、元気そうだな~/すごいな~」
と思う心の裏側で
「読んでるだけじゃ何の価値も生み出せていないな~」
と思う心があって、時々嫌気が差すんです。
友人たちの日常のひとコマ、活躍している姿、素敵な言葉を眺める時間。
その時間は楽しいし、友人たちとつながっていることも大切だけど、SNSでは、油断すると「自分の意志で大切にしている」という主体性が欠落してしまいます。
SNSがあるおかげで世界は広がりますし、たくさんの人との繋がりから思いもかけないチャンスを手に入れられたりもします。
ただ、そこには消費「させられている」時間が紛れ込む危うさも自覚しておきたいな~と思うのです。
余談ですが、その危うさを思うとき、ブログを書いていてよかったな~と思います。
SNSを読んでいる私はそれを消費しているだけ。
ブログを書いている私は小さな価値を創出している。
それでバランスをとってるかもしれません。
(と書きながら「ブログの価値って何だっけ?」と思うけど)
たくさん「消費」した結果として、今日のこの記事を「創出」できているのですから。
皆さんは、どのように考えますか?
★追伸
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