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病での学び2

病で学んだことや気づいたことは、
人生経験のどれを通して得たことよりも多い

病になるとは、
それくらい大事なのだと思う。

表には見えないし、
ついつい日常では、普通の人と共に生きているので、
わたしは、自分が病があることをふと忘れてしまう。

(意識しまったら辛くなってしまうから
あえて見てみぬふりをしているに近いかも。)

でも、それでは、病になっている意味がない。

というのは、

病は、腫瘍や炎症などを介して
わたしたちにSOSの信号を出し、
生き方を変えるように促しているものだからだ。

(病態によって、
その人の課題、訂正すべき生き方が違う)

「ある」ことを過剰に意識したり、
あまり気にしすぎるのも良くないんだけど、
「ある」ものをなかったことにすることもできない。

「ある」は、「ある」と認めて
あることで気づかせようとしている
大事なことを体の信号を通して気づき、
改善して、その上で、前を向いて朗らかに生きるのがいい。

最近、お手上げ状態になった。

気にせず生きてはいられない領域に来て、
受け入れて、この等身大のわたしでもできることをできる範囲でやる生き方にシフトすることにした。

これ以上、損なうくらいなら、
すべて手放してもいい、、とさえ思えた瞬間もあった。

もう、無理はできない。

無理はしちゃいけない。

人の20〜30%のキャパしかない自分を
受け入れて
そこを基準にスタート地点として生きる。

それこそ、

これでいいじゃない、
できなくても十分じゃん、
わたしはわたしの精一杯を生きてるんだから、
生きてるだけでいいじゃない

という境地にやってきた。

人と比べたら全然できてないのだけど。

大丈夫、大丈夫。

わたしにとっての病は、 
等身大の自分を認めるためにあったと思う

厳格な家庭に育ち、
そのおかげで
ちょっとだけ優等生な大人に育ったけれど、
その代わりに
自分にとんでもなく厳しく自分をストイックに追い詰める性格も加わった。

優等生でないと自分を許せない完璧主義になった。

そんなわたしは、
自分の体に鞭を打ち、 
無理をしてでも、
任されたことを遂行しようとしたり、
最後までやり遂げないと自分を許せなかった。

そのおかげで得たものは多いけれど

それで病気になっててどうする?

そのせいで、ずっと具合が悪くてどうする?

それは、幸せなの?

何がほんとうの幸せなのか
ずっと向き合い続けてきたけれど、
今こそ、本当の本当の本質が見えつつある。

それは、生きていることにある。

地位や名声を得て、 
キラキラ輝くことが幸せではなく
(一つの要素)

今に幸せを感じられる生命があることが
本当の幸せだと思う。

綺麗事ではなく
それが幸せなのだと
気づいたのは病になったから。

今、学んでいるのは、
究極の自己愛と人生の本質。

わたしは、
大好きなお芋を食べながら、
姪っ子たちの笑顔を見ているだけで
最高に幸せだ。

忙しく働いて得る富よりも

身近にいる愛する人たちと
穏やかに流れる
手作りの温かい時間を共にすることが
至極の幸せだと思う。

わたしの周りには有難いことに
温かい人が沢山いる。

わたしの好きなアットホームな
空間や時間をこよなく愛する人がたくさんいる。

幸せなことだな。

※写真は家族ぐるみで昔から仲の良い
バイオリニストと修復家の中澤ご夫妻の
クリスマスコンサート♡

働いて働いて、無理をして、
多くのものを得ようとして、
壊れて、それは、本当に生きたい生き方じゃないと思う。

忙しいと、余裕がなくなって
自分にとって
本当に本当に大切なものを見失うしね。

すでにある幸せを感じられる
余白を残して生きることは
とても大切。

病=苦しいものというのは幻想で、
その苦しみは病が作り出しているものではなく
自分の生き方が作り出していると
気づくのが病の本質だと思う。

#ウェルビーイング #闘病日記 #自分軸 #自己肯定感 #自分らしく生きる