北海道旅行その4 日高、早来 赤兎馬

襟裳岬を発ったあと、再び北上して功労馬ツアーに出た。

サラブレッドに興味のない方には申し訳ないが、少し自分勝手にツラツラと描いていく。

僕が競馬にハマったのは中学生の時。当時、「ダービースタリオン」と言うゲームに友達とのめり込み、ちょうどその頃にゲームではなくリアルのターフを駆け抜けていた

ミホノブルボン

に魅了された。血統的に短距離馬にも関わらず、日本ダービーを悠々と逃げ切った。

無敗の2冠馬。2着にはライスシャワー。その後、秋の菊花賞に向けて秋初戦の神戸新聞杯を勝利し、迎えた菊花賞。

3000m。ダービーより600mも長い。競馬の世界では長距離。

ミホノブルボンは快調に逃げる。最後の直線も先頭。

誰しもが3冠を願っていたに違いない。だがしかし、やや脚色が落ちている感じがした。そして・・・

ライスシャワーがやってきた。

そう、こちらは長距離血統だったのだ。

あっという間に抜かれ、ミホノブルボンは2着に敗れた。

浅い競馬ファンにとって、これほど悲しい出来事はなかった。


ミホノブルボンは、このレースを最後に4歳(当時。現在は3歳の扱い)という若さで引退。

そして・・・

そのミホノブルボンに逢いに来た!

衝撃の敗北から約10年。どんな姿をしているんやろう。


ミホノブルボンは獰猛だった!近寄ると前歯をむき出しで威嚇してくるではないか!さすがの気性である。

それとも、僕をかなりの敵意と感じたのか??臭かったのか?

しばしブルボンと睨み合いが続き、私は2冠馬に睨み勝った。(意味不明)

その後は有名馬…メジロライアン、タマモクロス、トウカイテイオー、サクラローレル、G1戦線を駆け抜けた強豪馬が北海道の地でゆったりと過ごしていた。

一頭、ものごっつい馬が居た。

レガシーワールド。

この馬は、あまりにも気性が激しい場合に取られる「去勢」という処置を取られた“せん馬”である。

当時は世界の猛者どもが集う、世界でも有数の戦いであったジャパンCを優勝した名馬である。

この馬は、他の名馬とは異なり小さな牧場で引退後を過ごしていたのだ。

牧場主と話をし、人参を1本勝った。確か…100円だっただろうか。

人参を持って牧場を見ると…さっきまで見てきた功労馬とは訳が違った。

なんせデカイ!

三国志の赤兎馬並み!(知らんけど。笑)

北斗の拳の黒王並み!(知らんけど。)

そして、柵越しに人参でレガシーちゃんをおびき寄せると、あっという間に我の手前に到達。さすがジャパンC優勝馬!

僕の手ごと食べてしまうんではないかと恐れながらも、差し出した人参を一瞬で食べ切り、用無しになった私からあっという間に離れていった。泣

みんな好き放題生きてる。素晴らしい。

北海道ならではの光景。


功労馬ツアーを終え、その日の夜は森の中にあるユースホステルで一泊。

どのあたりだっただろう・・・レンタカーは乗り捨てて、電車で近くまで行ってユースホステルに行ったような記憶がある。

襟裳岬ユースホステルのようなインパクトがなかったため、描写はあまりできず申し訳ない。

ここでは、仔馬から競走馬へと育てあげる調教師のような(調教師ではないが)仕事をするために修行の旅に来ている可愛らしい女の子と出会った。

競走馬は背中に騎手を何事もなく乗せているが、仔馬の時はそんな背中に何かが乗ることすら嫌がるから、タオルをまずは背中に掛けて慣れさせるんだよ!と色々教えてくれた。

もうすぐ、その調教師のような仕事になるための試験があるらしい。受かったらまた連絡するよ!って。

翌日に小樽を目指すねん!みたいな話をしたと思う。その女の子に途中の駅まで車で送って貰い、お別れの際には電話連絡交換、ツーショット写真をとって別れた。

あぁ、ひとり旅も捨てたもんじゃない。この時、ひとり旅ではこのようないやらしい経験ができるんやな、とまだ若かった僕のバカ脳に植え付けられた。

実はその後、電話もメールもしたが、反応してくれなかった。

あぁ、試験に落ちてしまったのか・・・(と、連絡が取れなかった理由をポジティブに考えていた)


さて、今日からは都会や。

小樽、札幌そして帰路へ。




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