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”雨のち晴れ”【しまさんの読むRadio】

彼岸の入り、トーキョーはくももまばらな晴れの日が続いている。暑さ寒さも彼岸まで、とは言うけど、本当に暖かくなった。

こんな日が続いてる中で、2個目の「空の歌」の記事を書こうと思う。

しばらくのテーマは、晴れが続いて欲しいので「晴れ」にしよう。

ここでは、ちょっと暗い最近に対して、「雨のち晴れ」の2曲をとりあげてみる。

雨のち晴れるや

今、ニュースを見ていて、暗い話が多い。

いかに空が晴れでも、雨みたいな感じだ。

だから、晴れが楽しみなのかもしれない。

その日のために、いつも微笑んで、愛を伝えよう。

そんなメッセージを伝えているのがゆずの「雨のち晴レルヤ」だ。

この曲は「ごちそうさん」の主題歌でもある。

ラブソング、という言葉は「恋の歌」というニュアンスが強いけど、この曲は同じラブソングでも「愛の歌」という感じ。


いかん、ここで話したいのは「いつかの晴れの日のために、いつも微笑んでいよう」ということだった。


曲を通して、天気を意識した歌詞がでてくる。

予報通りいかない模様
そんなときこそほほ笑みを

ポツリポツリと町の色変わっていけば
傘はなくとも 雨空に歌うよ

どうしても、世の中うまくいくとは限らない。晴れ予報なのに突然ぽつりぽつりと、雨が降ってくるときもある。でもそんなときこそ、ニコニコと、がんばる。がんばるに「顔晴る」と当て字をしたひとはなかなかセンスある。

予報が外れる、といえばMr.Childrenの「エソラ」にも。

天気予報によれば 夕方からの
降水確率は上がっている
でも雨に濡れる場所を探すより
星空を信じ出かけよう

雨に降られたら 乾いてた街が
滲んで綺麗な光を放つ
心さえ乾いてなければ
どんな景色も宝石に変わる

そう、微笑んで、がんばる。信じて、平常心で、その場を楽しむ。そうして心が潤っていれば、「どんな景色も宝石に変わる」

以前書いたnoteでも、夢にたどり着こうとする人をサポートする姿勢について書いたけど、夢を描き、たどり着こうとする人の顔は晴れているし、日々の景色はまさに宝石そのものだ。

愛を伝えよう

大空に飛ばした靴 占った明日の行方
描いてた未来じゃないが
君がいるかけがえのない日々 それは奇跡

そして、そんな日々でも、やっぱり描いてた未来じゃないかもしれないし、靴飛ばして明日の行方を占わないとやっぱり不安。


「ただね、君がいるかけがえのない日々が、それ自体奇跡なんだよ」


日々の、幸せを、拾って、気が付いて、それを言葉に出す。語る。

その大事さを伝えている気がする。

何があっても そばにいるよ
君と待っていたい 昇る朝日を
さらば 手を振ろう 悲しみたちに
時は流れて 笑顔になれるよ
(中略)
涙の河も 海へと還る
誰の心も 雨のち晴レルヤ

日々の中で、涙も流すかもしれない。

でも、その日々はいつか、「時は流れて笑顔になれるよ」と。朝日を迎えれば悲しみたちともおさらばだよ、と。


「誰の心も、雨のち晴れ」


なんだよって。そういう日々の生き方と、晴れの迎え方を伝えているのかな。


次の雨の日のために傘を探そう

雨のち晴れる、そんな曲をもう1つ。

SEKAI NO OWARIの「RAIN」映画「メアリと魔女の花」の主題歌だ。

雨、というのはいろいろな表現に使われる。

さっきの「雨のち晴レルヤ」では雨は「悲しみ」や「うまくいかないつらさ」を表現していた。

こちらの「RAIN」では「いつか来る雨上がりを待つ=辛抱強く突き進むこと」を描いている、と思う。

実際の歌詞も見ながら考えてみよう。

虹が架かる空には 雨が降ってたんだ
虹はいずれ消えるけれど雨は草木を育てていくんだ
虹が架かる空には 雨が降ってたんだ
いつか虹が消えてもずっと僕らは空を見上げる
(中略)
虹が架かる空には 雨が降ってたんだ
忘れないよ こんな雨の日に空を見上げてきたこと

しばしば、成果が出なかった努力、実りにつながらなかった本気は「ムダ」と思うことがある。


虹がかかる空、それは誰かの成功かもしれない。

虹がかかる空、それは僕がイメージしていた通りの成果かもしれない。


でも、今はそうじゃない、雨は降り続くし、僕は濡れる。

気が付いたら虹も見えなくなってる。


ただね、その雨は「草木を育ててくんだ」。僕がどんなに落ち込んでも次がまたある。その「ムダ」と思った思いや努力は、また草木を育てる。


だから、気が付いたら虹が消えていた空を、見上げ続ける。


見上げ続けたこと自体は、まったく無駄じゃないよ。

「忘れないよ こんな雨の日に空を見上げてきたこと」というのはそのまんまの意思表明なんだろう。


そして、締めくくりのこのフレーズ。

雨が止んだ庭に 花が咲いてたんだ
きっともう大丈夫
そうだ 次の雨の日のために 傘を探しに行こう

そう。雨が上がっていて、花が咲いていたら、「きっともう大丈夫」。とりあえず「次の雨の日のために 傘を探しに行こう」とまた気持ちを新たにしていく。


これは、日々においても同じだと思う。


気持ちと、向き合うと、つらいこともある、場合によっては死にたくもなる。


でも、空を見上げ続ける、努力したり想いを傾けたりすることは、無駄じゃない。いつか見る虹のために、いつか咲く花のために、いまは雨かもしれないけども。

次に雨が降るときくらい、傘でもさしながら、虹を待とうじゃん。


そんなことを思う。

今は雨でも

どちらの歌も、「雨のち晴れ」をテーマにしているんだけど、もうひとついえるのは「明日の希望」を歌っている、ということ。


今は、ニュースもうんと暗い。


でも、いつかは、というか、晴れない空は、ない。

いつか雨は上がる。

いつか虹が見える。

いつか花は咲く。


雨のち晴れ。


明日さえも僕らはわからないけど、必ずいえることがある。

「雨のち晴れ」だよ、と。



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