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第5話 恐れ、おののく


子ども心にも
うすうす気づいていた。

母は、ばあちゃんのことが怖いのだ。

ばあちゃんは、なぜだか
母にとても厳しかった。

母は、朝早く仕事に出かけ、
夕飯の時間をとっくにすぎた頃に帰宅する。

帰りが遅い!とばあちゃんになじられながら
父が帰宅する前に、猛スピードで夕飯を作る。
父もまた、母に厳しいのだ。

食事が終わったら
猛スピードで他の家事をする。
それが終わったら、
職場から持ち帰った仕事を夜中までする。

仕事があるから家事はお休み、なんてことは許されない。
いつだって、ばあちゃんが母を見張っているのだ。

そんな母が、夕飯の後、私によく頼みごとをした。
「じいちゃんちにおかずを持っていって」
というやつだ。

祖父は、家から歩いてすぐのところで、一人暮らしをしていた。
病気をして体の半分が動かないので
母が食事を作り、ときどき届けていたのだ。

仕事に家事に毎日フル稼働で
ばあちゃんにも、父にも、睨みをきかされている母が
手伝いを頼める相手は、私しかいなかった。

私だって、母を助けたい。

ただ、私にとって
「夕食の後で
じいちゃんちにおかずを届けるミッション」は
地獄だった。

だって、夜道だと、私の目は見えない。

じいちゃんちに行くには、
ひろーーーーい田んぼがいくつも続く、そのあぜ道を歩く。
もちろん街灯なんて、ほとんどない。

「見えないから、行けない」
何度か断った。でも、無駄だった。

「そんなこと言わないで。お願い。お母さん、忙しいのよ。
おじいちゃん、ごはんが食べられないと困るでしょ」

母の頼みには、めっぽう弱い。

仕方なく、私は真っ暗な夜道に出かけていく。
小さな鍋を両腕でだきしめるように抱えながら、
そろりそろりと、半泣きであぜ道を歩く。

懐中電灯のぼわわんとした灯りなんて
弱々しすぎて夜の闇にすぐとけてしまう。

だから、ほとんど記憶で歩く。
この方向で合ってるかな?曲がり角はそろそろかな?
でもすぐに自分がいる場所がわからなくなって
その場にしゃがみこむ。

そして、暗闇の中で、じっと待つのだ。
少し離れた大きな道に車が通るのを。

車が通るとき、そのライトが
一瞬だけ、田んぼ一帯を照らしてくれる。
その瞬間に進むべき方向と曲がるべき位置を目に焼き付ける。
そうしてまたそろりそろりと歩き始めるのだ。

そんなことを果てしなく繰り返しながら歩くから、
いつもじいちゃんちにたどり着く頃には、
鍋の中の料理は、すっかりと冷めていた。


ああ。今夜もなんとか
生きて家に帰ってこれた。。。。

こんな命がけのミッションが
あと何回続くのだろう。
恐ろしくなって、何度か母に訴えた。

「暗いところで目が見えないの。歩けないの。
もうじいちゃんちには行けない」

「大丈夫よ。だって行ってこれたじゃない」


どうして母という人は
こんなにも話が通じないのだろうか。

きっと母は、ばあちゃんのことしか見ていないのだ。
だから、私の言葉は、母の耳には届かないのだ。
そう思った。


ある年の暮れ、母が、
元旦の朝、初日の出を見るために
近くの山に登ろうと言い出した。
山頂には神社があり、初詣もできるのだ。

家族は、寒いとか眠いとか言って
みんな嫌がった。

小学生だった私だけは
母と一緒に過ごせる時間がうれしくて
ついていくと言った。


が、
うかつだった。

山頂で日の出を見る、ということは、
太陽が顔を出す前に、山道を登るのだ。

陽光が届く前の山道で、私が歩けるわけがなかった。


「はやく歩いて!日がのぼってしまうよ!」

母がいくら私を焦らせても、私の歩くスピードは上がらない。
この暗闇じゃ、私には歩くべき道が見えない。
這うようなスピードでしか歩けない。

太陽よりも先に山頂にたどり着きたい母は
イライラした様子で、私を待たずにぐんぐん歩く。
母の声がどんどん離れていく。

だめだ。このまま、登山道を外れて、
転がり落ちてしまったらどうしよう。。。。

怖くて一歩も動けなくなった私は
じいちゃんちミッションの時と同じように
しゃがみこんだ。

山の中じゃ
車のライトというワンチャンもない。
絶望的だ。

どのくらいしゃがみこんでいただろうか。

登るのはもう諦めて、
下山する母に見つけてもらう作戦に
切り替えようと心の中で決めかけたとき、

おしゃべりしながら登ってくる
おばちゃんたちのグループに発見され、
抱えられるようにして山頂まで連れていってもらった。


すっかりと朝になり、
新年の太陽に照らされた山頂で、
おばちゃんたちは母を探してくれた。


再会するなり、母は私を見て言った。
「もう。ちゃんと歩いてよ」

そしておばちゃんグループに謝った。
「すみません。ご迷惑をおかけして」



大人になった今でも
ときどき思い出す。

あの時、母は、どんな気持ちだったのだろう?
山を登っていたら子どもがついてこなくなって、
そのまま一人で日の出を見て、初詣をしたのだろうか?
新年の清々しさを味わえたのだろうか?


子どもの私にとって、
その元旦の朝の山頂は、悲しみ一色だった。

ああ。また母をがっかりさせてしまった。
また母と楽しい時間を過ごすことができなかった。


そんな自分への不甲斐なさと同時に、

山頂で私と再会したときの母を見て
私はすべてを諦めた。


だって山道で一人ぼっちになったのだ。
小学生の我が子が、動けなくなって
見知らぬおばちゃんに助けられたのだ。


いくら鈍感な母だって、
ここまでのことがあったら
「暗いところでは目が見えない」私のことが
理解できるんじゃないか。

母の目にうつる夜の暗さと
私の目にうつる夜の暗さは全然違うのだと、

母の生きている世界の普通と
私が生きている世界の普通は違うんだと、

今度こそわかってもらえるんじゃないか。


「怖い思いをさせてごめんね」
そんなふうに言って、
やっとやっと私の顔を
まっすぐに見て謝ってくれるんじゃないか。


正直、そんな淡い期待だってしていた。母に会う前までは。
だけど、やっぱりそんな夢は砕け散った。

新年の太陽に照らされた山道を下山する間、
母は一言もしゃべらなかった。
私も一言もしゃべらなかった。



ある時、ピアノ教室で、作曲の宿題が出た。

私は、
鍵盤の黒いところばかりを叩きまくる
なんともおどろおどろしい曲を作った。

タイトルには、こうつけた。
「暗闇の中で」

正直、自分でもどうしてあんな暗い曲に
なってしまったのか、わからない。
自分でもちょっとひくくらいの暗闇感だった。

「誰か気づいて!」
心のどこかに
まだ諦めきれない、そんな気持ちが残っていたのかもしれない。


でもそんな私を見て
父は言った。

「おまえは、本当に
子どもらしくない子どもだな。
暗くて陰気で
かわいらしさのかけらもない」。

ますます、
もう誰にもわかってもらえなくていい、
と思うようになっていった。



あきくんとのドライブデートの帰り道、
助手席で
車のライトに照らされたアスファルトを眺めながら
そんなことを思い出していた。


確かに陰気な子どもだったなあと
思い出しながら、こっそり笑った。


対照的に、いつでも陽気なあきくんは、
さっきからずっとサッカーの話をしている。
子どもの頃からずっとサッカーが好きで得意で
社会人になってもずっと続けていたこと。

そんな話をぼんやりと聞いていると
ふと私の頭の中に

あきくんがパパになって
子どもたちとサッカーをしている景色が浮かんだ。

ああ。これは
あきくんの未来かもしれない。

その瞬間、
このまま私がそばにいたら、
あきくんの未来を壊してしまうような気がした。

だって私は、
子どもを産まないと決めている。
私と同じ目の病気が遺伝するかもしれないし、
自分の子どもが同じ病気に苦しむなんて
つらすぎて私が耐えられないからだ。


そんなことを考えていたら
あきくんがとても楽しそうに言った。

「はるちゃんといると
いつも楽しいなあ!
結婚して、
ずっと一緒にいられたらいいねえ!」


恐れ、おののいた。


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