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第1話 べテルギウス



夜の散歩から帰ってきた夫が
興奮ぎみに話しかけてきた。

「すごいよ!!!
今夜は星がいっぱい出てる!!!」



私たち夫婦は、昨年、
東京から800km以上離れた
海に近いのどかな町へと移住してきた。

東京で生まれ育った夫にとって
「夜空いっぱいの星」というのは
さぞかし興奮に値する美しさだろう。


嬉しそうな夫を見て
思わず私も星が見たくなった。


「わあ!それはすごいね。
私も見てみたい。私にも見れるかな?」



その瞬間、夫の顔がやや曇った。


「うん、、、、そうだね、、、」

さっきまでの口調とはうってかわって
急に歯切れが悪くなる。


「私も星、見てみたいな!
もう一度、散歩に行こう!
私も連れていって」


「んーーーーーーー」
明らかにしぶっている。


夫のトーンダウンの理由に
だいたいの察しがついている私は、
いじわるにも
夫が考えているであろうことについて
あえて言葉にしてみる。


「ねえ、もし私に
ひとつも星が見えなかったら、悲しい?」


私は、
「網膜色素変性症」という
目の病気を抱えて生きている。

通常よりも早いスピードで
どんどん視機能が低下していってしまう
治療法のない難病だ。

米粒みたいな小さな視野が
私に見えている全世界だし、

その病気の症状のひとつに
「夜盲症」というものがあり、
暗いところでは、
私の目はさらに機能しなくなる。


真っ暗な中に光り輝く小さな星なんて
私の目には捉えられるわけもなく、

満点の星空に下にいるときだって
しし座流星群で賑わっているときだって
まわりがどんなにはしゃごうとも
私にとってはただの真っ暗な夜だった。


そんな私に
星の話をしてしまった。

夫は今
確実に困っている。


私は知っている。
夫は
がっかりする私を見ることが
本当にいやなのだ。


「行ってみようよ!
そんないっぱい出ているなら
私にもひとつくらい見えるかもしれないよ」


私は
嫌がる夫を
無理やり外に連れ出した。


「星、まだたくさん出てるの?」
「うん。すごい数だよ。とっても綺麗だよ」


ひんやりと冷たい空気を頬に感じながら
田舎の真っ暗な道を歩く。


と言っても、私にはほぼ何も見えない。
歩くべき歩道がどんなふうに続いているのか
さっぱりわからない。

夫の腕につかまりながら
ここに道があるのだろうと、
その腕に全信頼を寄せて歩く。


「ほら!あそこ!
特別大きな星が出てるよ。見える?」


どうやら夫は、私の隣で
空に向かって腕を突き上げ
星に向かって指をさしているようだ。


だからさ。見えないんだってば。
あんたが空に向かって指を突き出しているんだろうなってことは
なんとなく気配でわかるけど、
私には、その指が見えないんだってば。


心の中で
これまで何度もしてきたツッコミを
繰り返しつつ、

なんとなくの勘で上を見上げる。

「うーん。見えないなあ」


「いや。そっちじゃないって。
こっち。もっと顔をこう!」

夫が私の顔を
ぐいっと両手で挟み込み、
大きな星のほうへまっすぐに向かせる。

んーーーー
それでも私の視界は真っ暗なままだ。
紺色の世界がただただ果てしなく広がっている。


「見えないかあ」
諦めかけた。


でも、まだ諦めたくない。


私は
空に向かって突き出し続けている夫の腕を
ベタベタと触り始めた。

触覚で正確に確認すれば
もっと位置がはっきりするはずだ。

私の狭い狭い視野でも
私の貧弱な視機能でも
まだ捉えられるかもしれない。


夫の腕をベタベタと触りながらその先の指を目指す。
一本だけさらに突き出した指を見つけたら、
またベタベタと触り、
正確な角度を確認する。


夫のたった1本の指を
両手で撫でるように触りながら
その角度とぴったり一致するように
自分の視線を空に向ける。



んーーーーーーーーーーーー
んーーーーーーーーーーーーーー


あ!!!!!!!


紺色一色だった私の世界に
小さな金色の光の粒が飛び込んできた。


「見えた!!!見えたよ!!!
私にも星が見えた!!!
ひとつだけ見えた!!!!
うれしいっっっ」


「見えた?見えた?
はるちゃんにも見えたの??
よかった!!よかったね!!!」

はしゃぐ私の隣で
夫もとっても嬉しそうだ。



「すごいよ!!!
今夜は星がいっぱい出てる!!!」

そう言った夫の目には、
何百、何千と輝く星が見えているのだろうか。


私には
その中のひときわ大きな光を
たったひとつ見つけるのが
精一杯だった。


それでも、たったひとつ。
私にもまだこの目で見ることができる星があった。
金色の小さな光の粒を私の目は捉えた。


夫が見ている美しい世界のごく一部を
夫が受け取っている感動のごく一部を
一緒に受け取れたことが
何よりもうれしい夜だった。


夫よ、
私が悲しむかもしれなかったのに
チャレンジさせてくれてありがとう。


「はるちゃん!
あれは、きっとべテルギウスだよ!!
うん。間違いない。べテルギウスだ!」


星には全く詳しくないはずの夫が
はしゃいだ声で教えてくれた。


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