歴史とは、妄想すること。
雪がしんしんと降る夜。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
夕食を早々に済ませた私は、何とも面白い記事に遭遇しました。
浮世絵専門の太田記念美術館。
浮世絵に様々な角度から切り込み、常に新しい見方を提示してくれる、私の大好きな美術館です。
今日紹介されていたのは、雪の様子を描いた作品たち。
でも注目すべきは雪ではなく、その寒さの中を素足で歩く人々。
全員が素足というわけでもなく、足袋を履いている人もいるようです。
いったい、なぜ素足なのか?
粋でおしゃれだからという説はあるものの、明白な根拠はないそう。
なるほど、これは面白い。
そもそも歴史というのは、過去の資料や物証から有力な説が通説として語られます。それらを学ぶのも楽しいです。でも、歴史の一番の面白さは「”まだわからない”を妄想する」こと。そう、私は考えます。
あぁだったかもしれない、こうだったかもしれない。
妄想に身を任せるのです。
そしたら私、ピンときちゃったんです。
寒いのに、素足の江戸っ子…
その姿はまさしく女子高生ではないかと!
今の女子高生事情には詳しくないですが、「冬の女子高生=素足、寒そう」という認識は多くの方に共感いただけると思っています。靴下を履いているので、厳密には江戸っ子と同じではありません。でも「明らかに寒そうなのになぜ」というところがそっくりではありませんか?
ちなみに私の地元・某葡萄の国では、冬は刺さるような寒さでした。
膝が白くなりながらも、素足+ハイソックスで乗り越えたあの冬。鳥肌の立つ足をさすりながら、朝誰もいない教室でストーブを独り占めする。それが冬の風景でした。
我が校の校則でタイツが禁止だったこともありますが、実はストッキング+靴下は許可されていました。でも、なぜか皆履きません。
寒くないわけではありません。
めちゃくちゃ寒かったです。でも履かない。
寒いなら履けばいい。わかっています。
でも履きたくない心があったのです。
江戸っ子にもそんな心があったのではないでしょうか?
「粋でおしゃれ」にある意味近いかもしれない。
「オシャレは我慢」的な何かかもしれない。
でも、それより何となくの”履きたくない”。
根拠や理由なんてものはなくて、それが彼らのスタンダードだったのかもしれない。自由気ままな妄想はもくもく膨みます。
本当は最もらしい理由や、彼らのカルチャーがあったのかもしれない。
でも今生きている世界の当たり前に全て理由があるかというと、そうでもない。
だから彼らの生きていた時代にだって、全てに理由があったとは限らないはず。
「まだわからない」には無限の可能性がある。
調べて知る楽しさもあるけれど、ここはひとつ。お先に妄想してみてはいかがでしょうか?
以上、元なんちゃって史学科女子の妄想のすすめでした😁
お付き合いいただきありがとうございました。
おやすみなさい、よい夢を💤
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