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言葉と意味

言葉の意味を読む

問題の答えが教科書に書いてあるのにわからな場合、教科書を声に出して読んでもらって、気づいてもらっています。
ですが、ちゃんとその言葉を口で言っているのに、全くわからない子もいるのです。言葉として口に出しているのではなく、記号としての文字を口に出して居るだけなので、考えるという作業が入っていないのです💧
文字は音を示し、言葉は意味を示すのに、言葉として認識していないのですね。
こういう人は、音読するときは大抵、息が切れた時に息を吸う、棒読みになっています。言葉で区切ることをしません。
意味の切れ目で息継ぎをするのは、英語も同じです。英語が分からないと文句を言う人は、音読してもらうとやっぱり棒読みです。ひたすら繋げて読みます。これでは言葉として考えていないのだから、分からなくて当然です。読めないから書けない。
日本語も英語も、言葉として考える習慣をつける必要があります。
国語の授業で、日本語という言葉をしっかりと学ばせて欲しいと、常々思います💦
更に、プログラミング教育推奨で、言葉がまた、ないがしろにされていきます。
ちゃんと自分の国の言葉を知っているからこその、他の言語が理解できるのです。コンピュータの言葉だって同じです。
言葉をただの記号と捉えて、意味を見出せないのなら、人間としての機能が働いていないことになります。
人間は、言葉で思考し、言葉で記憶を作る生き物なのです。
英検も、入試も、英語の試験が読解中心になったからこそ、文法や単語力が必要なのです。正しく理解するためには、正しい決まりも知らなくてはならないのです。
そして、経験から想像する力が必要になります。
恐ろしいことに、文法なんて必要ないと言う英語の先生さえいます。
相手の言っていること、表現していることを知ろうとする心があれば、自分勝手な、なんとなく、や、思い込みの押し付け、をするはずはないのですが、、。
国語の読解力がなければ、英語だろうが数学だろうがコンピュータ言語だろうが
、ただの記号にすぎません。
思考力とはならない。
私の生徒さんは、国語の文法をやると、英作文や和訳が、かなり上達しています。
だから、もっとちゃんと、国文法や読解を、国語の授業でしっかりとやってほしいなあ、と思ってしまう今日この頃です。

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