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巨神像と世界最古級の超古代遺跡で知られる群馬県



1.高崎白衣大観音 慈眼院

 高崎市には高さ41.8m、重さ5985tを誇る巨大な観音像があります。県外の人たちにどの程度知られているかわかりませんが、観音様が周囲を睥睨している様はなかなか見応えがあると思います。

 観音像は中に入って、階段で観音様の肩の高さまで(9階)昇ることが出来ます。各階の窓からは高崎市街や 上毛三山、関東平野などが望めます。(足腰の健康な方でしたら、約10分程度で往復することが出来ます。)

胎内拝観のご案内

2.上野三碑(こうずけさんぴ)

 上野三碑(こうずけさんぴ)とは、現在の高崎市に所在する7世紀から8世紀にかけての古代の石碑3基(多胡碑、山上碑(やまのうえひ)、金井沢碑)の総称で、それぞれ特別史跡に指定されています。三碑とも半径5キロメートル以内の非常に近接した位置に所在しています。

群馬県ホームページ 上野三碑
上野三碑

3.甲(よろい)を着た古墳人

 三碑よりも少し古い年代で6世紀頃のものとされる、「甲を着た古墳人」という珍しい人骨も見つかっています。鎧を着けたままの姿も他に類例のないもののようですが、周囲にはいくつかの人骨と所持品も見つかっており、古墳時代の生活、社会を探るうえで大変貴重な史料です。そして、榛名山大噴火に巻き込まれた、という経緯(いきさつ)はポンペイで発掘された遺体に近いものを感じさせます。

4.岩宿遺跡

 岩宿遺跡から見つかった磨製石器は三万年以上も前の地層から出土しており、これは世界最古級の年代です。
 私たちはこのような遺跡を知りながら、学校の授業や教科書、新聞、雑誌、歴史の書籍などで日本の文化、文明が世界で最も古い可能性があるという話を聞く機会はなかったように思います。

5.稲作が日本起源と考えられる痕跡

 群馬県ではないですが、文明発展の大きな起点とされる稲作についても一万年以上前まで遡る可能性があるとされる痕跡が見つかっています。
これは『縄文時代前期である「1万2000年前のプラントオパール※が鹿児島から出土した」』として一部で報道されました。

※プラント・オパール(植物珪酸体化石)とは、大まかにいえばイネやススキ、タケなどが水に含まれるガラス成分を吸収して細胞に蓄積され、化石(細胞化石)化したものとされています。

 熊本大学の報告書の中には、「(イネだけではなく)小麦も中国よりも遥かに年代的に遡るという問題も合わせて考えなければならない事態を招来した」と記述されています。(熊本大学学術リポジトリ参照)
 稲作の始まりについては、約1万前に中国の長江流域で始まったとする説が有力とされていますので約1万2000年前という年代は、日本が世界のどの地域よりも古い文明を持っている可能性を示唆するものです。

参考:縄文前期、イネ栽培か/プラントオパール大量に

6.幕末の偉人、小栗忠順(おぐりただまさ)

 幕末期に傑出した才と働きを示した偉人は多いようですが、小栗忠順(おぐりただまさ)もその一人です。百田尚樹は、「日本国紀」で小栗忠順についてページを割いて次のように書いています。

 小栗忠順は将軍家茂の承認を得て、慶応元年(1865)に横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠)の建設を開始します。これは単なる製鉄所ではなく、造船所とドック(船の建造や修理のための施設)が一体となるものとして計画されていました。その意味で、小栗は日本海軍の礎を築いた人物といえるでしょう。

日本国紀〈下〉百田直樹P27

 日本の商人が海外貿易で外国と対等に渡り合えない原因は資本力の弱さにあると見た小栗は、江戸と京都と大阪の商人から資本を集めて、株式会社の「商社」を設立します。(Company を商社と訳したのは小栗といわれている。)

日本国紀〈下〉百田直樹P27

 小栗は文化面でも大きな功績を残しています。日本最初の本格的なホテル「築地ホテル館」を建設し、これも日本初となるフランス語学校(横浜仏蘭西語伝習所)を設立しました。<中略>
 小栗はこれらをわずか数年でやってのけたのです。その先進性とバイタリティーにはただただ驚嘆するほかありません。

日本国紀〈下〉百田直樹P28

 大隈重信は「明治政府の近代化政策は、ほとんど小栗上野介(こうずけのすけ)の模倣にすぎない」と語っています。また明治三十八年(1905)に日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎は、その七年後、自宅に忠順の遺族を招き、「日本海海戦において完全なる勝利を収めることが出来たのは、軍事上の第一に、小栗上野介殿が横須賀造船所を建設しておいてくれたことが、どれほど役に立ったか計り知れません」と感謝の言葉を述べています。

日本国紀〈下〉百田直樹P28

 小栗忠順の功績を支えたのは、当時、幕府をバックアップしていた「フランス」の力があったこともまたここから見えてきます。イギリスは倒幕側を援助し、フランスは幕府をバックアップしていました。そしてこのように「イギリス」、「フランス」という国名が出されることで見えなくなるものがあります。それはロスチャイルド「ロンドン家」、同「パリ家」です。
 小栗の先見の明、驚異的な働きは本人の資質と併せて「パリ家」のバックアップとそしておらく指導の賜物ではなかったでしょうか。


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