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「志高く」バックナンバー㉑~潜在意識~

こんにちは、志高塾です。

今回の「志高く」バックナンバーは、夏休みが終わっていくこの時期に不思議となじむような、心の中にじんわりと何かを残していくような文章です。
貴重な古文書つきです。


Vol.177「潜在意識」(2014年10月28日/HP掲載)

古文書発掘。

タイトル;釣堀
「敷地は、以前、灌漑用水のために使われていた溜池を選んだ。しかし、現在は田・畑が周辺から消え、住宅街となっている。そこで、溜池は本来の存在理由を失ってしまった。そこに、釣堀を作り新たに池の存在理由を生み出すのである。
現在の子供達は家の中でゲームばかりして外で遊ばなくなっている。その子供達に釣りをすることによって外で遊ぶことの面白さ、生き物に直に接する楽しさを感じて欲しいのである。」
                       3回生 79番 松蔭俊輔

実家に置いてあった、大学生の頃に使っていた建築関係のもの(図面入れ、製図道具など)を整理していたら、当時取り組んだ設計課題の図面が見つかった。そこに書かれていた建築物に関する説明が上のものである。改行する箇所を変更した以外に手を加えていない。

人は、大体似たようなことをぐるぐると考えている。そして、円を描きながら、時間を掛けて、その半径を少しずつ小さくしていき、自分の思うところの核心に近づいて行く。

その軌道は掴めても、起点は分かりづらい。いつから、そのようなことを考えるようになったのか、というスタート地点である。

私は、事あるごとに「子育てにおいて、生き物と接することが大事」という話をする。何も生き物でなくてもいい、「正解のないもの」であれば。ただ、生き物は時々刻々と変化する。それゆえに、生き物の方が、それ以外のものに比べ分がある。

20歳ぐらいの頃に、既にそのような考えを持っていたのだ、と知り、自身驚いた。上の課題は、建物の形状に対する制約はあったものの、私が書いているように、敷地の選定から、建物の使用目的などは自由に決められた。

今のように、教育に携わる仕事をすることなど、当時は想像だにしなかったし、子育てが楽しい、と思い始めたのも、長男が2歳ぐらいになって、自分になつき始めた時からである。そんな私が、何を選んでもいい中で、「子育て」、「教育」について述べていたのだ。

私は、子供時代、クワガタを取りに、友達と箕面の山に自転車でよく通っていた。そして、そのスポットは正に溜池であった。

池に向かって、その淵からせり出すように生えている木の幹を思い切り蹴る。すると、「ちゃぽちゃぽ」と音を立てて、クワガタが落ちてくる。池に落ちないように、枝などに捕まりながら、時にはぎりぎりまで手足を伸ばして、水面でもがいているそれを網ですくい取るのだ。

山に入るときは、スズメバチに気を付けた。虫除けのスプレーをしても、蚊にたくさんかまれた。汗だくになって家に帰り、シャワーを浴び、あまりに
かゆいときは、手の届かいない背中などは、母にウナコーワを塗ってもらっていた。

大人になった今、それをもう一度体験したいか、と問われれば、「子供にはやらせたいが、私は少し離れたところで見ておきます」と答えるだろう。

でも、「あなたの記憶から、その思い出をきれいさっぱり取り除いてもいいですか」と尋ねられれば、「それは困る」ときっぱり返答するだろう。

夏が来るたびに通ったその池も、正に存在理由を失ったのか、あるとき埋め立てられた。木はそのまま残されていたものの、不思議なことに、もうそこにクワガタが来ることはなかった。私が、初めて経験した環境破壊は、間違いなくそれである。教科書に載っていることを知ることはできる。しかし、感じることはできない。

1人の親として、子供にはいろいろなことをさせてあげたい。でも、きっと子供の中に残るのは、私が意図したことと違うことなのだろう。だが、経験させたからこそ、何かが残り、そして、間違いなく、それは親が与えたかったものより、素敵なものなのだろう。

まとまりのある文章になったとは言えない。しかし、久しぶりに、頭ではなく、心で文章を綴った、という心地よさが私の中に漂っている。

                              松蔭俊輔


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