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講師の作文③~つながる瞬間~

こんにちは、志高塾です。

今回お届けするのは、豊中校を任されている社員の竹内が、昨年の春に書いた文章です。
本人は久しぶりに読み返してみて「こんなこと考えてた・・・!?」という反応をしていましたが、それはまさに作文の醍醐味だなあと思いました。

この週末、ぜひじっくりとご覧頂ければ幸いです。


竹内の作文Vol.3「つながる瞬間」(2022年4月9日)

まず2月の頭に神戸市立博物館へ足を運んだ。GWまで大英博物館所蔵のミイラ展が開催されている。駅の広告等で目にしていたこともあり、三宮に出かけたついでに「せっかくだし見てみよう」と思った次第である。今回の展示ではCTスキャンによって画像解析された6体のミイラが目玉となっている。性別や年齢はもちろんのこと、社会的な立場もそれぞれ異なり(王家の役人だけでなく、無名の女性や子どものミイラも公開された)、それらを通じて古代エジプトの人々の生活の在り様を見せている。

一つひとつの解析結果や、貴重な装飾品の数々が面白かったのは言うまでもない。ミイラと聞くと畏怖の念の方が大きくなるが、現代人と同じように病気で亡くなり、死を悼む気持ちからその方法が確立されていったことを考えれば、死者に対する向き合い方は場所や時代は違えども相通ずるものがあることを感じ取れる。ミイラだけでなく、2019年の発掘調査において発見されたエジプト・サッカラ遺跡の地下集団墓地(カタコンベという)の調査状況を公表するコーナーも興味深かった。金沢大学が中心となって国内外の大学・研究機関と共同で進めたらしく、発掘途中の遺跡の再現模型が日本独自の展示物として用意されていた。そこで発掘調査について「一度掘り起こすと二度と元に戻すことはできない」と解説されており、言われてみれば当然のことではあるのに、なぜか心に突き刺さった。

その後、とあるコマの授業に考古学を専攻する講師がいたこともあり上記のような話をした。「発掘」は同時に「破壊」行為でもあるということはその分野における共通認識であり、科学技術が進歩する昨今はいかに掘らずに解明するか、が重視されているようである。事実、1972年に発見された高松塚古墳、1983年のキトラ古墳にはそれぞれ壁画が描かれているが、衆目を集めるとともにいかに保存するかが大きな課題となった。もともとの劣化のみならず、人の行き来によって内部環境が変わったことによる損傷も見られ、修復作業は現在も続けられている。あらゆる発掘調査はそれを終えてからの記録と市民への公開が必須であり、後世に伝えていくことが使命であるとも言える。人ではなくドローンが遺跡内部へ立ち入ったり、今回のミイラ展のようにCTスキャンを活用したり、できる限り「そのまま」の状態を保つことが現代では可能となっている。今後の更なる技術革新を期待して、あえてまだ手を付けていない遺構・遺物も多いそうだ。

新しく知った情報がきっかけとなって俄然関心が強まり、同時期に兵庫県立美術館で開催されていたオランダのライデン国立博物館所蔵のエジプト展も2月末に訪れた。1818年に設立された同館の初代館長がミイラの包帯を解かずに保存したことが、調査研究に繋がっている。単にお守り袋を開けるのが憚られるのと同じような感覚だったのかもしれないが、仮にミイラを発見したのと同時にその布を取ってしまっていたら、今ほどの研究成果は得られていなかったはずである。

博物館や美術館で鑑賞することの意義の一つには、読書と同じように、それに触れた時の印象がその時の自分を映す、ということがある。「二度と元には戻せない」という言葉に惹かれたのは、社会に出て「覆水盆に返らず」を身をもって知っているからで、小学生の時にミイラを見ていても「怖い」で終わっていただろうし、大学生の時でもいまいちピンとこなかったと思う。掘って出てきたからにはその正体を突き止めなければならないし、途中で放棄せずに向き合わないといけない。いい加減な扱いで傷つけるようなことがあってはいけない。そういう真摯な付き合いを果たして自分はできているか、やってきたか、そのようなことを自問する機会になった。思い返せば、私の小中高校生時代には、校外学習などで神社仏閣を回ることはあっても、博物館や美術館で作品の鑑賞をすることはなかった。地域や公立私立の区分によって差があるのかもしれないが、目の前のものが答えを与えてくれることも、新たな問いを投げかけることもあるということを学ぶ場として、もっと子どもたちを連れていってあげた方が良いのではないだろうか。


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