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手術モノの怪我を2年放置した話

2年ほど前、右膝前十字靭帯完全断裂、半月板損傷という怪我をした。今年の2月に手術を受け、現在はリハビリしながらではあるがふつうに生活している。ここで「なんで2年前に怪我したのに今手術したの?」という疑問を持つ方がいるのではないだろうか。いやいるはず。そこで、私が2年間怪我を放置した理由と、これまでに起こった怪我にまつわる話を綴っていこうと思う。

受傷日―――大学入学2週間後

そんなバカな、と思う方もいるだろう。そんなバカがここにいるのである。だがなんでこうなったかというのは単純な話だ。部活動である。

16年、柔道をやっている。そのため事前に連絡を取り、柔道部への入部を決めていた。少し練習になじんできたかなと思った矢先、大内刈りを掛けようと足を入れた瞬間、相手が技をつぶそうと体を落とした。まぁ要するに、膝の上に落ちてきたのだ。「あ、切れた」と思った。案の定、バキッという鈍い音とともに、私の体も倒れた。バキッと聞くと骨が折れたと思う方も多いだろう。そんなことはない、靭帯が切れてもそんな音がする。過去に左手中指、両足首の靭帯を切った私が言うのだから間違いない。患部がとんでもなく熱く、感覚がないのがわかった。立ち上がろうとした(それがまずおかしい)が、膝が内側に入ってしまって立ち上がれなかった。のちのちお話するが、幼い頃言われてきたことのせいで痛みを顔に出すことが少ない。しかしこのときばかりは顔に出ていたと思う。だが脳は冷静で、「とりあえず冷やさなあかん。家帰ったらお母さんにどうすればいいか聞こう」と考えていた。母は過去にスポーツトレーナーとしてチームについていたため、こういうのはお手の物だ。だが私はこの時点で、あることを忘れていたのだ。我が家の怪我の基準がとんでもなく高いということを。

一人暮らしのアパートに帰り、とりあえずアイシングしながら母に電話した。こんな感じで怪我をしてかくかくしかじかと話すと、「炎症がある48時間はできる限り冷やし続けて。これだけで全然違うから。あと怪我した方の足は高いところに置くように。」と指示を受けた。患部の熱感は相当で、氷がすぐになくなり、水も温くなった。さすがの私も「これはやばい」と思った。膝や腰の怪我は絶対にしてはいけないと両親から言われていたのに、このありさまだ。入学したばかりで病院もよくわからない。軽くパニックになっていたところに、追い打ちをかける言葉を告げられた。

「病院はこっち帰ってきたときに行き。そっちのお医者さんはどんな人がいはるかわからへんから。どうせ炎症ひどいうちはなんもできひんし、冷やし続けとき」

わかった、となんの考えもなしに返事をして電話を切ったが、少しして「え?」と我に返った。病院行かないの?

今思えば勝手に病院に行けばよかったのかもしれないが、入学したばかりでお金と心どちらも余裕がなく、何より母の言うことだからそれでいいか、と思った。バカである。心の中のもう一人の私は「大丈夫なわけあるか!!!!はよ病院行け!!!!」と言っていた。それを無意識のうちに無視していた。怪我はいつものこと、大丈夫。でも、確かに違和感はあった。嫌な予感もしていた。今日寝たら、明日治ってたらいいな、治ってなくても痛みがましになってたらいいな、なんて思っていた。本当に甘かった。

受傷2日目―――授業が始まって3週目

うなされていたと思う。朝起きると汗がすごくて、熱が下がったあとみたいな感覚だった。もしかして、とかすかな希望を抱いて体を起こそうとして、違和感に気づいた。右足が、動かなかった。少しずつちに血がめぐり始めるにつれて、右足が脈打ち始め、激しい鈍痛を感じられるようになった。患部は熱感を持って腫れている。触ろうが触らなかろうが痛かった。そして、直感的に思った。「柔道ができない」と。生活が~とか、学校が~とか、他に心配するべきことがあるはずなのに、そう思っていた。本当に柔道好きだなぁと今更ながらあきれた。

気づいたら、泣いていた。痛い、柔道できない、痛い、なんで、痛い、やっと自由に柔道できるようになったのに、痛い、助けて。いろんな思いが渦巻いて、朝からわんわん泣いていた。今までの柔道は、「勝負のため」という要素が大きかった。だが、私はあまり勝負というものが好きじゃない。だから大学生になればもっと自由に、勝負のことを考えずに柔道ができると思っていたのに、このザマだ。情けないな、と思った。

ひとしきり泣いて、「朝ごはん食べて学校行かな」と起き上がった。それはもう痛かった。痛いって言葉が足りないと思うほどに痛かった。たまに膝が抜けて歩きづらかったので、家に置いてあった膝のサポーターをつけることにした。本当に気休めだった。朝ごはんを食べながら氷嚢で膝を冷やし、一日のスケジュールについて考えていた。学校行くのはいいけど、あの坂道登れんのかなぁ、まあ大丈夫か。などと思っていた。

私は基本とてもネガティブだが、こと怪我の話になると異様にポジティブになる。

「私の怪我は怪我じゃない。もっと痛い怪我はいっぱい見てきた。お母さんもお父さんも、もっと痛い怪我してる。大丈夫、私のは我慢できるやつ」

冗談抜きでそう思っていた。今もそう思っている。そう思うことでしか、自分を守れないのかもしれない。でもやっぱり病院には行くべきだったんじゃないかとは思うが。

「お母さんおかしいでしょ!親としてどうなん!?」とおっしゃる方もいるかもしれない。当然そうだろう。こうなった要因として、まず離れて暮らしているので怪我の詳しい状況を伝えきれなかったということ、そしてやはり、怪我の基準がおかしいことが挙げられる。でも私は、両親を責める気はない。最終的には私が「大丈夫」と判断したのだ。「お前の大丈夫はおかしい」と思ったそこのあなた、大正解である。だから私が悪い。怪我をしたのはそもそも私の落ち度だ。それに、柔道をしていれば、どうあがいても怪我はしてしまうのだから。

入院中に両親からは謝罪を受けた。ここまでひどい状態になっているとは思わなかった、と。これものちほどお話するが、私自身も想像していなかったほどに膝の状態は悪かった。病院の先生からも理学療法士の先生からも「この怪我で柔道やってたのヤバイよ」とドン引かれた。でもそれはそれでもう仕方のないことだ。病んだ時期もあったが、今は前向きにリハビリ生活を送っている。次回は、手術を受けるまで柔道をしていた時期の話をしようと思う。

まぁなんにせよ私から言えるのは、怪我したらすぐ病院行った方がいいということだけである。

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