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第一部 うつ病発症のきっかけ中学から高校卒業、大学入学まで

きっかけは、ささいなことから

 ぼくは私立中学を受験していた。

 その中学受験は親からほとんど強制的にやらされていて、塾は私立受験専門の有名どころに通わされていた。小学校でも「あいつ私立を受験するんだって」とクラスのみんなに知られてしまっていて、なんとなく特別な目で見られるようになっていた。

 けれど、受験はことごとく不合格。

 まあ当然なのだ。ぼく自身は中学受験に興味がなかったのだから。中学受験というものがそもそもどういうものなのかも全く分かっていなかった。

 強制的に受験専門の塾に通わされて、塾内で成績はいつも一番下。成績で席も決まるから、ほぼいつも一番後ろだった。受験勉強の仕方がそもそも分からず、家で勉強することもほとんどなかった。とはいっても、学校では別に成績が悪かったわけではなかった。

※あの当時、ファミコンなどのゲームに熱中することに対して、親世代はネガティブなイメージを持つことが多かったのだ。それもあって受験専門の塾に通わされた、というのもあった。加えて、両親の不仲も大きく関係していた。これに関してはのちのち書いていきます。

こうして受験に失敗し、地元の公立中学に進学することになった。

中学受験にあまり興味はなかったものの、親が期待していた分、落胆されたことにより、自分に対しての自信というものをすっかりなくしてしまった。

みんなと同じ公立の学校に入ったことで肩身の狭い思いをするようになった。『中学受験に失敗した奴』。そういう目で見られているような気がして、自信喪失の毎日を送ることになった。

家では親から「できない奴」「ダメな子」とことあるごとに非難されて、とにかく色々なことに消極的になってしまった。だから、友だちを作ることにも何か恐れのようなものを抱いてしまっていた。周りからは、「あいつ、笑わなくなったな」と言われたこともあった。

中学一年では入学一か月後くらいにやっと友だちができた感じで、中学二年になってからは新しい友だちというものができなくなっていた。友だちの作り方・話し掛け方が分からなくなっていた。

 

これがうつ病の兆候となるのだけど、より決定的な出来事が、中学三年の春にあった。

手の震えに悩まされるようになったのだ。

新入生に対しての部活紹介というものを行った時のこと。体育館のステージ上で行う発表だったんだけど、そうした舞台とかに上がって、かつ大勢の前で話すことなんて初めてのことだった。

まあ、そもそもぼくは人前に出ることが大の苦手で、クラス内でも黒板の前に出て何か発表する時とか足が震えてしまっていたものだった。

体育館のステージ上での発表は、自分が思っていたよりはるかに緊張して、手がぶるぶると震え出した。そう、まさに昔のアニメやコントみたいに、遠くから見ても分かるくらい手がぶるぶる震えてしまって、スピーチ用の紙も読めなくなるほどだった。

そんな自分の体に怯えてしまって、更にざわついている新入生を見て、ますます震えは大きくなっていってしまった。

これをきっかけに人前に出ることが恐ろしくなってしまった。

 

体育館ステージでのショックから手の震え。

クラスに友だちがいず、孤立している焦りからか、以降、普段の生活の中でも手の震えに悩まされるようになった。大勢の前に出ない時でさえ手が震えるようになってしまった。

 

※病名で言うと『書痙』というのだそうだ。人前で何か書く時や人前で手を出す時などに手が震えてしまうという精神的な病気。

 

クラスメートとかが手が震えている大人などを見ると、アルコール中毒だとか薬物中毒だとか、からかっているのを見聞きしたこともあったので、余計に自分の手の震えに怯えてしまった。

からかわれるのではないか、笑われるのではないか、いじめられるのではないか、そういう思いに苛まれて、とにかく学校では周囲に気づかれないよう必死になっていた。

 

友だちがいないため、誰かと協力して行う体育や、技術・家庭科とかの科目もできなくなってしまって、高校受験を控える大事な時期なのに、成績もどんどん落ちていってしまった。

結果、希望の公立高校を受験することは叶わず、通学に片道二時間近くかかる地元から大分離れた、偏差値の低い私立の高校に入ることとなった。

 

「お前が私立の高校に入るとは思わなかったよ」「あんなレベルの低い、お金の掛かる学校に入って」「お前がそんな駄目な奴だとは思わなかった」と、またさんざん両親からなじられた。姉からもなじられた。この言葉は、高校に通っている間も家族からずっと言われることとなった。

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